油絵道具、また使えるかな

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先日、飲み会で少し年上の画家の方と話す機会がありました。画廊で絵を売っているとのこと。そのキャリアを人生の真ん中におくように、数年前からスイッチしたようでした。

 

私も美大時代がんばって画廊に出したものですが、画廊代、ダイレクトメール代、運送費など、こりゃ貴族の遊びだなと思ってしまった。

 

続けていれば、少しは人と繋がれたのかもしれませんが、根が貧乏性で、時代も氷河期で、明日をも知れない状況で作るタフさはなく。そんなんで少しでも安定して食うことが人生の命題の数年を送り、とんと画廊に行くことも、ましてや個展をすることもなくなってしまった。

 

絵を描くといっても出口はまちまち。漫画にする人もいるし、イラストにする人もいる。ネットなのか、紙なのか、はたまたグッズなのか。手にもって本の形で開くのか、部屋の壁に飾るのか。

 

その受け手との距離感で、絵は変わる気もします。私は自分と絵が近い人間なのですが、壁に飾る距離感の絵を久しぶりにその画家の方のファイルで見せていただいて、そういう距離感で描けるかなあ、と思いながら、描いてみました(上の絵)。その地方に生きていない人間が、方言をまねしているような違和感が自分にありますが。今後身につくか分かりません。

 

その方は絵を見せてくれては、あれこれ話してくれます。使っている素材のこと、描きながら見えた形のこと。きっと、相手にどれが響くか模索しながら、話すんだろうなと思った。実は営業トークは苦手だけど、模索中とのことでした。話を聞きながら、そうか、そういう絵にまつわる物語を、お客さんは込みで買っていくんだなと。

 

昔自分の作品の写真を、本の装丁使えないかと思って、出版社に持ち込んだことがありました。…あの、ここで載せているよりは、もうちょっと真面目な^^;作品です。立体の。そこで担当の方にあれこれ話をしていただいた。極論を言うと見る側は分からなく、その作品や作家にまつわる物語を信用するんだと思う、と言われました。

 

今考えれば、すぐに声がかからなくても、毎年年賀状に自分の作品を載せたり、定期的に個展をして、そのDMをお送りするなりするもんだったんだろうな…orz。誰か教えておいてよ、そういう作法を。美大で必要な教育って、そういうところ…(今やっているのかな)。

 

極端なことをいえば、まったく同じ絵でも、美大を出たばかりの何不自由ない人が描いた作品と、人生に不器用で、最終的に刑務所に長年いた人が今わの際に描いた作品とでは、おそらく後者に惹かれるのが人だろうというような内容で。当時は「すぐ食えない」とがっかりしたのを覚えていますが、今は分かる気がする。

 

漫画のような直に人を楽しませる娯楽は、その限りじゃないんでしょうね。ただ絵というのは、正直…乱暴に言えば何でもいいわけで、そこに物語があって、「何か非日常の特別なもの」と思って買い求める。それを飾り、自分で非日常の空間をしばし楽しむ。家族や来訪者に見せる。感想を言い合う。そこまでがパッケージなんだろうなと。

 

若いころは自分にも他人にも厳しいもので、「結局は価値を分かっていないんじゃないか」と思え、そこに踏み出すのが、ウソや孤独ばかり気になって、できなかったのですが。それから年をとるにつれ、生活をし、色々な人と会うことで、こんな風にも思うように。「分からないものを買い、それでその人が日常からふと離れる瞬間があるなら、それもまた真なのではないか。」「それに私も言うほど分かっている訳ではない。」

 

画廊で自分の絵を説明する、ってやってみたい気が、白亜紀以来出てきてはいる。でも、油絵でトゲタ達を描けるかなあ…と。今まではまず口に糊するのに必死。少し落ち着いたら、子供がだあだあ言っているので、とても油絵道具なんか広げられない(猛毒)。かれこれいう間に、油絵道具固まっているんじゃないかな…。

 

油絵、床も汚れるし、道具も汚れるし、自分も汚れるんですぐ食事の準備などに取り掛かりにくい。何も家族にいいことない気がして、手を付けなかったですが、ただ確実に仕上がると、もつんですよね。それこそ焼き物の釉薬のように、ちょっとやそっとじゃ変わらないので、人にもしかして渡すかもしれないと思ったら、私は油絵だなあ…と。ああ描きたい。何をって、トゲタ達を。