休日は自分の中に流れる物語を取り戻すために、終始ごっこ遊び

平素石のことを書いていますが、石に力があるかないかは、私は明言するつもりもないのです。ただ、それが必要な時はそれを信じ、それが必要ないときは、自然距離がある。それだけ。そうして誰一人頼れない状況のときを乗り越えてきた、に過ぎないのです。ありますね、人の世で、誰もがその人を気にしつつ、セイフティネットになる気がない、なれない時。

 

さて、占星術でいう木星蠍座を抜け、11月8日から木星が射手座に入ったそうです。今後一年間は木星射手座とのこと。そのせいかどうか分かりませんが、公私ともに大波乱だった時期を抜け、11月5日頃から感覚的にもふっと軽くなりました。

 

今年一年、学んだことは数知れず、挑戦したことも数知れず。すべて過ぎてしまえば宝物。

 

仕事場ではたった一人でその場の全責任を負うので、相当神経磨り減ります。実際自分の能力以上を毎度している感があります。

 

毎日お守りにと忍ばせている石たちだけが、自分の真の味方。だから、休日は彼らを解放させてあげたく、ふと、秋の日差しの美しい週末、彼らを連れ出して、自然の中を散歩したくなりました。

 

私自身は、あまり「これがしたい」を強く感じない性質があります。そういう人も多いんじゃないかな。自分の根本の欲求に、自分が気づけない。その声は自分の根本から確かに上がっているのだけど、なぜかそれが聞こえているのに、意識できないのです。

 

単純なことです。大した不調じゃないから、ずっと気になる病状を抱え続けて生活しちゃうとか。ギリギリなくても大丈夫なので、あると便利な、決して贅沢ではないものを我慢しちゃうとか。

 

平素自分の盾となっている石たちを休ませたく、リラックスさせたく、デトックスさせたく、自然の中に連れ出してみたくなった。木の葉の上に置いてみたくなった。

 

それを実際行動に移してみました。気のせいか、ラピスラズリがすごくつやつやしたように思います。知らず、働いてくれていたんだろうかなあ。マラカイトはどちらかというと色を失った気が…。モリオンはつやつやになった気がします。

 

まあ、そんなワークをしているなんてことは誰も知らず、表面上は子供とどんぐりを拾ったり、葉っぱを拾って遊んでいました。子供はぬいぐるみを連れて行く。私は石を連れていく。

 

一か所、立派なクヌギが立つ森がありまして、そこが不思議で、土日とも、大人が、ぽつり、ぽつりと、座っていたり、寝袋で寝ていたりするのです。それぞれ無関係の大人。それがそれぞれのパーソナルスペースをとって、無言で、そっとそこにいるさまは、私に言われたくないのは重々承知で、そうとう奇妙な光景でした。

 

ここはsacred spaceなんだなあ。そこは現世を離れ、大きなところに身を寄せる人の魂が集う所という趣で、子供をそっと離し、別の場所へ。

 

自分のニーズは分かりにくい。休日を過ごすことは私は下手です。テーマパークに行きたいってわけでもなく、味の濃い外食をしたいわけでもない。そういうとき、自分が平素苦労をかけている物をいやす、休ませることを考えると、自然休日が割り出される気がします。

 

別にお守り石じゃなくてもいいんです。平素自分の重い荷物を運んでいるくたびれたカバンにも、休んでもらいたい。いつも切っ先を粉にしているシャーペンにも、休んでもらいたい。そうやって物を休ませると考えると、物をねぎらうと考えると、不思議なもので、自分も仕事から切り離され、休まっている。

 

物に魂があるかないか、明言するつもりは私にはないのです。それがしたい事かどうか。でも、本当の望みはとても声が小さくて、素朴で、自分が平素住む世界では、かき消されているんだろうなあ。

 

さあ明日は仕事。リーダーが絶対予定の一つを落としている気がしないでもない予定をこなし、余った時間をどうにか一人で回すという無理ゲーです。