基本人間はずるく、おかしく、悲しくて、愛すべきもの

かこさとしさんが亡くなってから、氏の自叙伝的な本である『未来のだるまちゃんへ』や、別冊太陽のかこさとし特集を読んだりしている。

 

別冊太陽の情報はこちら↓

kakosatoshi.jp

 

別冊太陽の中で、狂言師野村萬斎氏との対談がある。これがすごい個人的に大好きで、トイレに置いて、何度も読み返している。

 

狂言の人間観は、基本人間は狡猾で、おかしくて、愛すべきものというものらしい。確かに太郎かじゃ、二郎かじゃは、砂糖を勝手に舐めちゃうし、しかもそれを機転を利かせて、罰せられないように一案講じる。これがおかしい。

 

子供を教える仕事をしていると、昨今特にだけれど、厳しすぎるなあと思う。何かにつけて叱っている様子を見ると、よくそこまで大人は自信があるなあと、不思議にすらなってくる。

 

子供が大きくなったとき、その世界を作っていく大人になったとき、上の世代のやり方をコピペしただけの、狡猾さがない、従順で努力家で清廉な大人だけでは、ちょっと不安すぎる。

 

そういえば祖父母ん家のある沖縄の、琉球王朝時代の貿易なんて、大国に挟まれた小国が生き残るために、狡猾さ以外の何ものでも…とふと習った内容を思い出す。

 

子供を教える時は、基本人間も子供も、ずるく、おかしく、愛すべきもの、くらいに思っておくのがいいなあと、断るごとにこの対談を読んで、頭に刻んでいる。

 

宿題を故意に忘れる子。頭ごなしに叱るはしない。勝手に授業でついて来いよといい、放っておく。答えろと当てたりする。え、やってないですと言われたりする。聞いてりゃ分かるよ言ったりする。分からないですよう~~と言われる。隣に教えてもらってと、隣に発破をかける。答えさせる。よし正解と言ったりする。子供、周囲にリアクションしてアピールしたりする。

 

ゲームでずるをする子。しばし様子を見る。隣に立ってプレッシャーをかける。歩いて行って、すぐ戻って来る。ゲーム説明をわざとその子の横でゆっくりにし、「やってますよね?正しく?」と顔を作ってプレッシャーをかける。

 

叱るではなく、どちらかというと弄るに近いのかなあ…。教室全体も、誰かがただただ上から厳しく叱責されているのはつらいのだろう。あまりクラスの中の告げ口は生まれないように思う。

 

が、その狡猾さを面白がるようにしてからというか、クラスの中の告げ口が多い、多い!!やれ、誰それがうるさいと思いますとか、やれ誰それがズルしていますとか。たぶんそれは、厳しく叱ってくれというのではなく、突っ込み待ちにちょっと近い感覚かも…。

 

さらにそれを言ってくるのが、よくできる大人しい連中だったりする。乗せられすぎて、川の水が清くなり過ぎないようにしないとな~と私は思ってはいる。

 

叱るにしても、グラデーションがある。悪い事にもグラデーションがある。そこを意識しないとな、と思う。

 

宿題を忘れるなんていうのは、本人が困るだけなので、勝手にしろと思う(注:これは子供の年齢等にもよります)。忘れても、巻き返せるのなら、どうぞ、とすら思う。ちょっと嫌がっている友達の教科書に落書きは、頂けない。友達が発言しているときに大騒ぎも、頂けない。だけど、友達をいじめることは、もっと頂けない。さらに人殺しはもっとうんと重罪だ。

 

だから、授業中に何も聞いておらず、自分のテキストの挿絵に落書きして「先生、これ見て下さい」というのは、「よくできたねえ」で流すし、「宿題忘れましたー」は「今してくださーい」で流す。みんなでルールを統一しているゲームでズルをすることは、理由を説明してペナルティが入る。(同様にカンニングも、みんなでルールを統一しているゲームのようなもので、ペナルティが入る)

 

今書いていて、やべえ、あの宿題みんな分かっているかなって、冷や汗出てきた。「みんな忘れていたとき」の打開策も考えなきゃ。

 

こういう感じで教えていると、時々感動することに出会う。狡猾さの先に、どうやら子供オリジナルの自主性が生まれるらしい(あるいはこれは同義語なのかもなあ?)。休みがちな子のプリントを数人で回し、全部答えを書き込んでくれている子達がいたり。英文が読めない子のプリントに、全部読み仮名をつけてくれる子が出たり。

 

それも、静かに真面目にではなく、にやにやしながら、「え、これなら読めるでしょ」「おーけーおーけー」みたいな、騒がしい中で起っていたりする。

 

さて、先生の立場でも、失敗がある。先日知的障害がある子達のグループで、リスニングをした際、ちゃんと事前チェックをしていたにもかかわらず、内容が難しすぎた事があった。CDを流し、まずいと冷や汗。子供達も、困惑しきった顔。「ちょっと難しい…」「無理だ…」と言っている。

 

素知らぬ顔で、先生の権威を崩さないよう、誤魔化す方法もあったかも知れないのだけど、思いつかず、もういっそ、「失敗した~~~」のリアクションを見せてみた。テキストで頭を抱え、ひざまづいてみた(まさにそんな気分だったのだけど)。

 

すると、授業の後一人の子が言った。

「ありがとうございました。リスニングは、ちょっと難しかったですね!(笑)」

先生失敗したんだというのが伝わったのだろう。あ、こういうやり方もありかあ?と、ちょっと小さな地平が開けた気がした。

 

今日は狂言の映像でも見てみよう。だるまちゃんの本を片手に。