好きなことで生きて行く (この件について語るのが好きすぎて、空中分解したので、ちょっと加筆)

多くの拝読しているブロガーさんがこの件について書かれているので、自分も書いてみることにした。「好きなことで生きて行く」ということについて考えた日記といふものを、女のあたしも書いてみようかしら、紀貫之

 

好きなことで。私は飽きっぽい。先日まではまって毎日30分はしていたいたけん玉も、最近は練習していない。いやいや、全然嫌いになった訳じゃない。おそらく四六時中春休みの子供がいて、自分のペースで過ごす時間もないからではないかと。

 

好きを押し通し、仕事に繋げるには無理だろうなと、こういう性格から思う。例えば季節、環境、忙しさ、経験、総合して「気分」で、欲することが変わる。

 

一人で過ごす時間があるときは、頭でっかちをグラウンディングするために、けん玉は丁度良かった。だけど今は、子供スライムに四六時中巻きつかれているので、ただ、スタバでのんびりコーヒーがしたい…(遠い目)。

 

このようにしたい事、欲すること、余暇にぴったりのことがころころ変わる。昔は一貫性のない自分に悩みもしたが、こうして場当たり的に適応し、欲することが変化することで、自分という見えないものを保っているんだろう、と納得するに至った。ホメオスタシスとかいうのかな…。

 

なので、好きな事柄だけに拘り続けるのは、かえって苦しい気がする。好きな事柄だけをスタートラインにするのではなく、何が望まれているか、何をすれば自分が一番繋がりたい人達と繋がり続けられるか、などをよく考える。

 

好きなことを考えるとき、あまり名詞で考えないことも大事に思う。例えばパンが好き。だけれどパン屋のバックヤードと、パン屋のレジ打ちでは全然違う仕事だろう。パン工場の仕事と、パン会社の営業でも、全然違うと思う。結局、何を通してどういう風に人と関わりたいかじゃないか?と自分の場合は思う。

 

なので、自分の中では、「何が好き」を追い求めるより、例えばゲームが好き、本が好き、雑貨が好き、服が好き、という名詞を探すことより、それにまつわる周辺のことの方が実は大事な気もする。

 

一番になることが好きか。

人に喜んでもらえる事が好きか。

BtoBで大きな仕事を回すことが好きか。

個人を相手にするBtoC的なことが良いか。

上の世界の仲間入りすることが好きか。

下の世界を支えることが好きか。

少数の人と深く触れ合うことが好きか。

できるだけ大勢の人の役に立つことが好きか。

人から注目されることは好きか。

目立ちにくい真心を感謝される場所が好きか。

多少無理があっても自分の成長を感じられる仕事がいいか。

私生活と地続きで、あまり無理をしないで仕事に入れる場所が好きか。

 

私の場合は、そこそこの人数と接せられる仕事がいいと思っている。昔内勤の会社員をしていたが、死ぬかと思った(笑)。私生活で外に出ないので、仕事時ですらごく限られた人にしか会えないとなると、仕事をしているはずなのに引きこもりしているかのような状態に陥り、しかもそれが仕事だから自由に出られず、もしかしたらこんな暮らしがあと何年!?となると、給湯室で時に一時間ごとに頭をかきむしる程にはしんどかったです。

 

でも、それが勤まる人もいる。

 

後はBtoBの仕事は合っていないと思っている。昔企業に何ぞ提案する際、ミーティングが終わった瞬間に、クライアント企業の人たちが、昼飯の話を始めた。そうか、自分の人生のほとんどをかけているこの仕事では、この人たちが本当に喜ぶことは提案できないんだなあと思った。

 

私はこの人たちが私生活で感じている孤独やニーズにこそ寄り添う仕事をして、本当に喜ばれたいなあと思った。ミーティングが終って、お昼ご飯に消えて行くそのクライアント企業の人たちも、実は保育園に子供がいて、職場では言わないけれど、実は泣いてはいないかすごく心配しているかも知れないし、みんなと歓談しているけれど、実は人知れず孤独に健康の心配があるかも知れない。仕事をしはするけれど、人生の楽しみは、つつましやかに毎日のお昼ご飯かも知れない。そういう本音のすっぴんの部分の仕事を私はしたいなあ、と思った。あくまで自分はですよ。

 

後は、なるほどなあと思ったツィートから。仕事を長く続けるコツは、「好きな人とだけ仕事をすること」と「遅刻をしないこと」と中居さんを長くされているお婆さんがおっしゃった、というツイートまとめ記事を見たことがある。これも言いえて妙だなあと思う。

 

現在自分はフリーに近い身の上だが、仕事の紹介をしてくれる人、仕事に引っ張ってくれる人は、100パーセントそれまで一緒に仕事をさせていただいた人だったりする。新規で仕事を得る術もあるけれど、どうも上手く行かない(苦笑)。人の縁で引っ張られ、そこでさらに仕事を紹介され、継続と合わせて仕事が増えていくパターンが多い。

 

好きな人と仕事をしていると、たいてい相手も自分のことを気に入ってくれるようで、どうせ新規で雇うなら、どういう動きをするか分からない人より、気心知れてそこそこ安全に動くだろうことが読めるあいつを、と思うのかもしれない。かくして好きな人と仕事をしていると、仕事はあまり途切れない。途切れたとしても、求職していることを知ってもらえれば、定期的に「まだ仕事さがしている?こういう口が出たけど」と電話をくれたり…。

 

だから、好きな人とだけ選んで仕事を、という選び方は、実はすごく賢いんだろうなあと、ツイート記事を見て思った。

 

また、「人は、正しい正しくないではなく、好きか嫌いかでお金を払う」という内容もどこかで見たが、これもそうだなあと思う。BtoBで見積もりを出すときなどはあまり当てはまらないのかも知れないが、特に価値が良く分からないものを個人に売る場合など、正しいか正しくないかではなく、好きか嫌いかという事が大事なんだろうなあ、とは思う。お金を払って楽しい気分になるかどうか、は重要だよなあと。

 

先日電話営業でとある通信教育の会社の下請けのオペレーターさんから電話があった。いかに契約するのが正しいかの論を展開されたが、後味の悪さしか残らない。何でだろうと思ったとき、そうか、買うか買わないか、契約するかしないかは、仮に論破されたとしても何にもならず、ただただ、好きか、快か、本当に日常が楽しくなるかもしれないぞという期待、なんだなあと。

 

私はあまり物やサービスを売る前線に行ったことがない。自分でもここが下手で、そもそも商売の土壌に合っていない気がしていた。だけれどお客さんが楽しくなるために喜んで対価を払うのなら、私は何も悪いことをしていない。楽しいことを提供して、人生に楽しい時間を提供できているのだから。最近そういう視点を持つようになり、自分の好きなことを、人にきちんと丁度良く伝え、お金を払ってもらえることで、受け入れられたと喜びを感じる、という事を仕事としてちょっとやってみたいなあ…という気がしている。

 

NYに一年だけいたとき。洋服屋で服を買うと、アクセサリーを買うと、代金と引き換えに、品物を梱包して渡してくれる。その時店員さんが、さもニュートラルな顔で、"Enjoy."と言うことがあった。私はこれがすごく好きだった。そうだなあ、品物を買うという事は、これを使って少しの間(代り映えしない日常を)enjoyするという事なんだなあと。

 

好きなことではないかも知れないけれど、好きにできること、は自分にはキーワードかも知れない。

 

話は変わって、チームの楽しさも、仕事の楽しさの一つに思う。自分は仕事をするまで人嫌いだと思っていたが、仕事で人と組む楽しさは、交友関係とはまた違うけれど、私は非常に楽しいことが多い。

 

特にエンジニアと組む時。そのエンジニアが合理的であればあるほど、楽しかった。それまで学校などで無意識的に気を使っていた「嫌われないかな」「いじめられないかな」「誤解を受けないかな」という要素が一切ない世界で、感動すら覚えました。自分の、素顔は非常にキツくて、異常なほど(病的なほど)合理的なところを臆面もなく全面に出せ、これは非常に楽しかったなあ…。(平たく言えば自閉的な特性を思う存分出せる世界でした)

 

私生活でそれほど好きでない気がすることでも、企業内の空気が高揚していて、そこに自分ががっちり貢献できている実感があるときはすごく楽しいし、逆もまた然り。また好きなはずのことでも、将来の展望がまるでないとつらいもの。

 

好きなことでも、社内いじめがあったらつらいだろうし、女性の場合おそらく特に、社内に自分の年齢より先のビジョンが見えないときつい。ある年齢より上の女性がお局扱いされ、うとまれている様子が見え、充実しているように見えず、どんよりして見えたら、その企業になかなか多くの女性は定着しない…のでは。

 

仕事の楽しさって本当に複合的だと思う。

 

私は就職氷河期に大学院を出た人間で、新卒時、就職できなかった人間です。とりあえず、どこでもいいから入ってごらんと過去の自分には言いたい。きついらしいからと介護職、福祉職を避ける人もいると思うけれど、実際やってみた方が、どの要素が自分には大事だなあと、一つ分かると思う。

 

自分は福祉職もやりましたが、個人であり弱者を支える、社会的に絶対必要である、尊い仕事をしている、という喜びがありました。が、こればっかりはどうしても…困ったなと思ったのが、給料。

 

利用者さんも、働いている人も、生活保護ギリギリでした。所長さんですら、自治体の持つ住宅(安い)から、電車代が出せないので、自転車通勤。全員自転車通勤。雨でも嵐でも自転車通勤。そして給料は、自治体の最低賃金

 

どこよりも崇高で必要とされている仕事だと痛感しているのに、どの仕事よりも給料が安い。今も続けている同僚はいます、が、離職率は高く、自分ももう少し割りの良い仕事に当たってからは、申し訳なく思いながらも、先立つもののどうしようもなさで、続かなかったです。

 

この福祉職をするまで、自分にとって仕事を選ぶ上で一番大切なのは、やり甲斐だと思っていました。自分の場合は、それが本当に必要な仕事かどうか。困っている人、弱者を支えられる、本当に人として必要な仕事かどうか、だなあと思っていました。

 

が、この仕事を経験してから学習しました。とはいっても、自分は仕事としてするのなら、それに見合った給料が欲しいんだと。自分が健康にその仕事を継続でき、今日も明日も明後日も、ずっとそこにいますよと迷いなくクライアントにも自分にも言えるためには、他の稼ぎ方を無意識にでも模索しない程度のお金が要ると。

 

何の話をしていたんでしたっけ。

 

私生活ではない楽しさがあって(チームでできるとか、一つのことを大勢で関わってできるとか、新しい経験をとおして考えが広がるとか)、「世界ってこんなもんだ、人間てこんなもんだ」を揺るがせてくれる体験があって、役に立てたらなあという人の役に立てて、稼いだお金でネズミーランドに行けたりして、明日も明後日も、仕事は大丈夫だと思える仕事があったら、それがそれまで好きだと思ったことのないものでも、結構、好きになれるかも知れないなあと思います。

 

さらに大昔、ライターの下請けをしていたことがあります。あまりに下手で、時給10円くらいじゃねえ…?という仕事ぶりでした。が、それが一冊になり、巻末の名前の一つに自分の名前があったとき。そしてその本にまつわる事が、ある日大きな看板になり、電車の窓から見えた時。感動したなあ、楽しい!!って思えた。もっとこういうプロジェクトの中枢に行きたい!!と思えた。ああ、そうなったらどんなにこの瞬間、幸福だろうと思った。

 

クライアントやチームに貢献できたとか、心の交流ができたとか、成功に一役かえたという実感があると、とても楽しい。それでもしかしたら、何かが変わった、何か新しいものを提供できたかもしれない、なんてなったら、多分すごく楽しい。

 

…実はこの手の日記を何度も書いてはお蔵入りしています。途中で空中分解しちゃうんですよね…。今回も流れがぐちゃぐちゃ、要点もないですが、このままエントリーすることをお許しください。