昔ながらのスキルトイ お手玉、けん玉、あやとり、折り紙、コマ回し、竹馬…。

我が子がもうすぐ小学生。どうもこの年長~小学校低学年の子に遊びをさせるとなると、昔遊びがよく用いられるようで。保育園や幼稚園の教室にもけん玉があったり、学校間交流等でも昔遊びをし、学童保育でけん玉をやった、という人も、ネットを検索すると結構いるみたい。

 

かくいう私も、けん玉やお手玉をやったのが、小学校一年生くらいだった記憶があります。当時祖父母が近くに引っ越してきて、二世帯住宅を建てている途中でした。両親共働きで、帰りがそこそこ遅かったので、祖父母の家で放課後を過ごしていました。学童は途中でいじめられて、やめてしまった^^;。

 

祖母がお手玉を作ってくれ、一緒に練習した記憶があります。私は我が子と同様に不器用な子供だったため、祖母もかなりやきもきしたと思うのですが…、教授法がよかったか、お手玉2つは程なくして取り扱うことができるようになりました。それが小学校1年。

 

なにげにこれが子供を見るとき、自分の大体の目安になっていまして…。周囲の発達の早い子は、難なくけん玉、あやとり、お手玉しているようですが、まあ、小学校上がってからでも大丈夫と、そんな風に思っています。小学校上がってもできなかったら、それはそれで仕方ない。ただ、あまり簡単に自分のイメージを矮小化させないように心がけたい。(子育て中の自分に言っています)

 

それにしても、昔遊びはスキルトイが多いです。周囲がみんなこの昔遊びに興じている時代であれば、乳幼児のころから年長の子たちの様子を見て、何となく自分ができそうと思ったタイミングで(あるいは興味を引かれて無鉄砲に)手を出し、何となくやるのかも知れません。が、このあらゆる娯楽があふれる時代、いきなりある年齢で強制的に昔遊びを導入すると、発達が早い子はいいけれど、遅めの子にしてみたら、ただの自己肯定感ダダ下がりグッズになりかねない。

 

実際私もけん玉が全然できない子供で、以来けん玉に挑戦しようとすらせず、今日まで生きて来ました。あや取りやお手玉、コマ回し等は、決して上手くはないけれど、初歩的なものはマスター出来たお陰で、「できなかった」という意識もなく、いわばニュートラルな記憶になっています。折り紙も同様、意識に傷としても、トロフィーとしても残っていません。

 

発達遅かった子供が大人になるにつれ、何を人生の根幹に据えがちかといえば、「私にもできる」を増やす事じゃないかなあ…。少なくとも自分はそうで、大人になってから急に苦手だった数学を一人もくもくとやってみたり、ある日思い立ってジョギングをはじめ、3キロマラソンに出たり、楽器を始めたり、何かっちゅうと学齢期に「できない」と自己肯定感下げたものを、いや、ちょっとの工夫と心の持ちようで、自分にもできるんだと思いたいが故に趣味にするパターンが非常に多いです。

 

そして今、趣味はけん玉。決して上手くはないですが、それでも平均点以上は恐らくできるようになってきました。「大皿、小皿、中皿」「もしかめ」「ろうそく」「とめけん」ごくごくたまーに「飛行機」や「日本一周」が決まるように。

 

要するに、発達はいずれそれなりに追いつく。場合によっては追い越すこともあるって事だろうなあと。

 

けん玉に孤独にはまっているので、仲間が欲しいというのが最大の理由なのですが、今日職場にけん玉を持って行ってみました。職場は何かしらアンバランスさや困難さを抱える子供が来る場所なので、案の定「けん玉一度もできなかった」という子がいる。そして案の定、けん玉に手を伸ばさない。

 

だけど乗せて、させてみると、年齢も上がっているせいか、できるのです。いつの間にか発達が追い付いたり、自分で自分のバランスを取れるようになってきていたりする。だけれど、それを実感する場所や機会がないので、自己イメージを修正できずにいる。今の自分は、昔思っていた自分とちょっと違うのかも。今だったらできるかも知れないという事に気づかないで、小さい頃の人一倍できなかった自分のイメージのままでいるパターン、案外多いんじゃないだろうか。

 

発達遅めの幼児にとって、昔遊びのスキルトイは自己肯定感をただただ下げるグッズになるかも知れませんが、もう少し年齢が行き、例えば10歳を超えたり、中学生になったり、高校生になったり、私のように大人になってからでも、やってみると、案外できるようになっている自分に出会い、自己肯定感を修復するグッズになりえるかも知れない、と思ったりします。

 

昔遊び?には、紙の着せ替えや塗り絵、単純にお絵かきなんかもあり、昔の子も、それぞれにあらゆる意味で楽しめると感じるものをやっていたのでしょう。だけど、昔ながらのスキルトイ(普通に使っていますが、使用方法合っているのかな、この語句)は、何かしら成長過程でこじれてしまった子を、傷つけもするけれど、励ましになる可能性もあるなあと思います。そして、傷つかない方がいいのではなく、たくさん傷ついて、どこかで取り戻せば、それだけ太く育つんじゃないかな、とも、ひっくり返って泣いている我が子を見ながら、思ったりします。

 

まあ何が言いたいのかって、今さらながら、昔遊びって楽しいもんだな…と思って、はまっています^^; ベーゴマやりたいな。

 

個人的にjpegを集めるゲームがあまり面白くないので、シンプルな作りで、シンプルな素材で、ここまで奥深く「沼」になる昔遊びって、凄まじい完成度の遊びだな、と関心しています。携帯ゲームを一概にディスれるほど知らないけれど、はまって、自分の身体や発達と対峙して、自己肯定感につながって、時に生涯の友になって、本当の友との懸け橋にもなりえて、さらに技が無限に開発され、終わりがないけん玉、面白いよ~~~。