「そうだ、いいことを思いついた!」を実現したいよね。

自分の中学時代、1つだけ妙に覚えているのが、「中学生でもビジネスはできる」という話でした。学校⇔家。ひたすら気が遠くなるほど、この往復。学校で自由がきくのは、美術の白い画用紙の上だけ。あるいは文化祭などの、ほんの数日間だけ…。

 

実際、中学生って、相当力を発揮できる年齢ですよね。高校になれば、もう少し社会に近づくのでしょうが(あるいは社会に入ってしまうという選択肢も、一応は)…。

 

我が子の口癖「そうだ、いいことを思いついた!」。大抵はいい事じゃないことで我が家内では有名です。大体すっとんきょうな事件を起こします。だけど、「そうだ、いいことを思いついた!」を実行できるのって、育つのにとても大事な事ではなかろうかと。

 

失敗してこそ、学べることもある。やっぱり、実体験にかなう学びってないのでは、と思います…。

 

仕事で教科を教えていて思いますが、いや、知識は確かに、ある時物事を考えるツールにはなる。だけど、そのツールを揃えるのにあまりにも現代は大変で、大事な子供時代がアップアップなのは、何だか絶対健全ではなく、健全でないことは、何か後々大きな病巣になりえないだろうか(社会の)と感じたりもします。

 

正直、子供達はいつ「そうだ、いいことを思いついた!」を実行できているんだろう?超謎です。公園ですら、球技禁止。騒ぐのに眉をひそめられるという話も聞きます。学校は勉強でいっぱいいっぱい。自由にやんちゃできる空き地も、栄えた場所ではなさそう。

 

特異な例と思いたいのですが、先日ドラえもんの映画を観ていて、小学生らしい子たちが「だって~は勉強がんばっていないんだろ。それって駄目人間だよ。勉強できないなんて、駄目人間。」と。いやいや、その勉強って、覚えて吐き出す知識量でしょ?いやあ、おばさん、それは一種のパズルゲームみたいなものだと思うよ。もっと総合格闘ってあると思うよ…。

 

今日は小学生の兄弟が「正直英語だけは偏差値いいんだよ。英語だけは偏差値50は行く」みたいな掛け合いをしていたり。…まじか。まじかー。

 

自分の持ち時間で、自由度の高いことを試みてみました。すると「こういうのはどう?」と、興奮してアイディアをどんどん出してくれる子や、「本番はいつ?」と何度も何度も確認してくる子がいたり。こういう、というのは、あまりに手前味噌ではあるのですが、子どもが自由に思いつきが試せる場を、もっと持てないものか…と思います。

 

大人は、子供がトライandエラーを行える場を広くとり、柵や防波堤になって。失敗しても、例えばですが…そこで万一発達障害のあるお子さんで、パニックがあったとしても、立て直すことを経験するのも(立て直すまでをきちんとしっかり経験させることも)、思春期の「よい経験」になるのでは…とも思います。

 

子供同士の会話の薄さもちょっと気になっていて。自由度が高い場だと、思いがけない子が、思いがけない反応を友達に見せたりもします…。そういう、相手の存在感や深みが、ぐっと厚みを増す経験というのも、思春期けっこう重要じゃなかろうか‥。

 

小学生の会話がよく耳に入ってきてしまうのですが、徳川家康や、豊臣秀吉の話をしていました。浅はかに知識偏重、という言葉を使っては危険かもしれませんが、それよりも、「自分がこの社会を動かせる、作れる」ことを学ぶことに、時間をかけるべきじゃないかなあと思うのです。

 

歴史も大事でしょう…でも、徳川家康はみな知っていて、衆議院参議院の任期や、解散総選挙のこと、三権分立憲法、なんか、私だけなんでしょうか、学校で習ったのって、あまりにもあっさり短い期間だったんですよね…。

 

「そうだ、いいことを思いついた!」の数多くのトライアルの果てに、規模が拡大して、本当にいいこと思いついて、社会を思いがけず動かす子供を、大事に育てる社会であってほしいと、私は思う。

 

子供がそろそろ歯磨きの仕上げなので、それではまた。