やわらかい ぱん

焼き肉はホルモンが好きです。みなさんはどうですか。

ちょうどいい年齢層の本と、人と読む、一人で読む

自閉症の僕が跳びはねる理由』の著者で、その他にも多くの本を出版されている東田直樹さん。実はあまり小説を読まないと言われていました。読んでも、宮沢賢治。絵本はお好きらしく、絵本コーナーで子供に交じって読んでいて、純粋な目でまじまじと見られる、というのも、どこかの本の記述にあった記憶があります。

 

彼ほどの文章を書く人ですら、小説を読まない。小説って、一種、かなり、独特の芸術で、服用するにはかなりのスキルやタフさが要るのではないかと個人的に思っています。

 

そう、私も実は小説をほぼ読まない人間なのです…。自分の場合、下手すると塩水を飲んだような非常にしんどい活字中毒状態になってしまい、読むそばから喉が渇く感じになり、必死に常に活字に目をさらしておかないと、乾くという経験がありました。

 

現実感がゆらぐような、現実がすごく遠くなるような、小説やそれを書いた小説家の方が自分の分身か親友のように近すぎて感じ、それが時代も違う故人だったりして、恐ろし孤独にさいなまれ。…みたいになるので、実は努めて小説を読まないようにしています。

 

これ、性差別にとられるかも知れませんが、特に(おそらくストレートの)男性作家の作品を読んだ後に多いのです。推理小説や、SF、ハードボイルドなんかは大丈夫。いわゆる純文学が危険…。

 

なぜそれを好んで書くのかと思うのですが、そういう小説は入口から、奥に行けばいくほど、どんどん孤独に、一人に、世間の騒音がない世界に入って行く気が…。そして最後それを救うのは、あり得ない女性だったりし、同性である自分には「それはない」となり、結局「救いはない」と読め、物語は終了する。常にぐいぐい孤独の森に連れていかれ、そこで放置という目に合う。

 

森から抜け出したく、手あたり次第本を読むわけですが、これがどうもいつも最後人里まで自分をきちんと送り届けてはくれず、森の中に放置。よくこの精神状態で生きているな、と現役の作家(例えば大江健三郎さんとか…)に思います。たぶんだから、小説を書く人、読める人というのは、どこかで嘘…というのは言葉が過ぎますが、余裕というか、遊びがあるのではないか‥と疑っているのですが。

 

ある種もっとも危険だったのが、ドフトエフスキーでした。ドフトエフスキーに比べると、現実存在するどの人も影が薄くなり、もう故人であるドフトエフスキーしか、同じ種としての体温を感じなくなってしまうという。

 

聞けばドフトエフスキーは神経症的なものを持っていたとも言われているようで、それと自分の脆弱な部分が呼応しちゃうのかな、と思っています。だからこそ、名作と名高いのでしょうが…私には服用注意の怖い芸術です。

 

以前資格をとるために2年だけ在籍した大学の恩師にも、同じような症状の人がいました。彼女は児童文学までは非常に楽しんで読み、とても読書家だったそうです。

 

が、「もう児童文学じゃないな」と思う年齢になり、大人向けの純文学にシフトして、あら大変。なぜか日々ふさぎぎみになり、写真に写る顔は暗くなり、性格もなぜか暗くなっていったとのこと。以来、大人になってからも、ハッピーエンドの児童書を読むようにしている、と言っていました。そして現在は児童文学の作家兼研究者をされています。

 

彼女から教わり、私は何か小説的なものを読みたい時は、主に女性作家の児童文学を読むようにしています。イギリスは女性の児童文学の宝庫で、…日本語で読むと、いきなりカタカナの名前で「メアリーは」とか書かれ、シンクロしづらいですが、英語で頑張って読めば、結構するすると物語に入れる。そして世界観がわりとミニマムで、結構安心して読める。

 

子供にとっての、また自分にとっての物語の入り口を考えると、往年の女性作家の児童文学は、人形が主人公のものもあり、非常に入りやすいです。中には家の中に物語が限定されていたり(『借りぐらしのアリエッティ』もそんな感じですよね)、平素活字を読まない自分の世界とあまり段差なく読めます。

 

あまり出会った経験がないのですが、大学院時代の恩師に「君は同性愛者の作家の本とか向くじゃないかな」と紹介してもらった自伝。それもするするとしんどさが少なく、読めました。

 

いくつかの本に感じる塩分みたいな、あるいは最終的に毒素のようにたまる世界観の自分との段差のようなものが少なく、書いてある内容は結構悲惨だった記憶があるのですが、ストレス少なく読めたのを覚えています。ただ、結局は女性作家の児童文学のほうが、もっと楽だなと結論づけた記憶があります。

 

オチはないのですが、このように特に純文学服用に危険のある方って、他にもいらっしゃるんでしょうか。

 

寝かしつけの前、子供に本の読み聞かせをしています。絵本や、活字が大きな本。例えば『怪傑ゾロリ』シリーズや『おばけのアッチ』シリーズなど、自分で読んでいても楽しいです。

 

が、図書館で次の年齢層の本を手に取るとき、上記のことを思い出します。

 

今は子供と一緒に読んでいます。人と一緒に本を読むって楽しいなと思います。これが一人だと…。自分の中で言葉がたまってしまい、それがシェアされないために、自家中毒を起こす原因になる気もします。

 

読書の秋。ゆったり本を読む時間は、この年になると本当に何物にも代えがたいんだなあと感じさせられます。だけど私は服用に気をつけています。そういう方って他にもいらっしゃるんでしょうか…。

 

安心して読めるシリーズとしては、クマのパディントンのシリーズもあります。いつもハプニング続きですが、余りにも可哀そうなことは起こらない。その安心感は、時に退屈なのかも知れませんが…。

 

我が家の旦那は、非常にアップダウンの激しいストーリーが好きです。お互いに自分の好きな映画を借りて来ると、一緒に見るのはお互いにきつかったりします。物語は変化を表現するもの…と考えると、そもそも大きな変化にあまり強くない自分の特性も、原因なのかも知れません。