やわらかい ぱん

焼き肉はホルモンが好きです。みなさんはどうですか。

9月1日にむけて心にワセリンを塗る

9月1日は若者の自殺率がすごく高い日なのだそうです。こんなに明確なデータが出ているのに、放置しているなんて、バカみたいですよね。そこまでしてイヤな子が多いとデータで出ているのだから、何か対策を講じてしかるべきだと思いますよ。

 

学習指導要領も子供に多くを課す方に振れている昨今。全体的なギスギスは上がっているはず。ゆるく、始業式一週間前から図書館解放するとか、子どもが学校の荷物を事前にもってきていい日を作るとか、お昼ご飯をもってきて、先生と食べていい日を設定するとか、色々できそうだけどなあ…。

 

長期休暇中、先生方は研修や普段使えない年休を使ったりと、8月初旬~中旬は学校にいらっしゃらない事も多いですが、下旬になってくると、会議があったりなどで、学校にいる先生の率が上がってきます。

 

先生に新学期に向けての面談を申し込むのは重い…、でも、いきなり9月1日を迎えるのが不安な場合、事前に副校長先生にでも連絡をして、

「ー年ー組のーーですが、実は久しぶりの学校が近づいてきて、不安になってきている様子があるので、夏休みの間に、一度親子でいつもの教室を2,3分で結構なので、見に行くことはできませんでしょうか?」

みたいな打診をするのもアリかなと個人的に思っています。

 

大抵もうこの時期は先生方の多くが学校にいらして、もしかしたら担任の先生も、校内研修や会議等の都合が合えば、職員室から出てきてくださって、少しお話もできるかも知れません。普段の先生より、夏休みの先生は心に余裕もあるでしょうから(^^;)、よもやま話でもいいと思います。お子さんと、夏休み何をしていたの、とか、どこか行った、とか、面白かったこととか。

 

一瞬でも顔を合わせておくと、先生も新学期、少し気にかけるとも思いますし、真っ白な状態で集団の一人として先生に会うより、子どもも親近感をもって学校に行けるかも知れません。あまり9月1日直前だと、学校内もバタバタしている事もあり得るので、やや早めがいいのかな…。あくまで、個人的な観察で思っているので、断られたら、すいません。

 

自分が9月1日に向けて、子どものころからやっていた事も、色々あります。とにかく夏休み→新学期の段差が大きい。言うなれば敏感肌と普通肌みたいなもので、普通肌の子は、季節の変わり目も、寒暖の差も、それなりに適応できますよね。しかし極度の敏感肌の子の場合、角質がないセラミドがないなどで、普通肌の子が乗り切れる環境の変化でも、ヒリヒリが大きかったりしますよね。(最近美容系youtuberの動画をよく見ていて、こんな例えですいません)

 

なので、心に一枚被膜を作ようなことをしていたなと、自分を振り返って思うのです。

 

(1)ぬいぐるみに慰めてもらう。

成功体験がある程度あれば、不安に思う気持ちは変わらないのですが、頭のどこかで、「とはいっても新学期始まれば、それなりに適応する自分がいるはず」と思っていたりもします。

 

しかし目の前の大きな変化に向け、不安はどうしようもない。そんなとき、よくぬいぐるみ(心にぬいぐるみ的なものを思い描くだけでもいいです)に心の中で「大丈夫、不安だよね、でもみんな不安なんだよ。」と言ってもらう想像をし、ぬいぐるみの手を取って、自分の頭をなでなで。これをひたすら、9月1日まで繰り返す。

 

不思議なもので、「大丈夫、怖くないよ」といった要は自分の声かけなのですが、私は結構効きます。「不安なんだよね、初めての日が怖いんだよね。友だちに嫌われないか、怖いんだよね。うまくお話できるか、不安なんだよね。」と、不安な要素を言語化するだけでも、なぜか楽になってきます。覚悟して行くのかな…?整理されるのかな…?不安な要素を見通せるようになるのかな…?よく分かりませんが。

 

(2)お守りを選ぶ

学校と社会の違いは、いじめられても、勉強ができなくても、学校の場合は変わらずそこにいていいという点ではないでしょうか。義務教育以外での大幅な校則違反や、学費未納、普通級での極端な成績不振の場合(支援学級、支援学校を視野に入れる等)など、やや例外もあります。が、会社などでは、使えない人材と判断されると、継続している事はできなかったりします。対して特に義務教育の場合、基本、実は自分のままでいていい場所のはずなんですよね。

 

腰を据えて、嵐が過ぎ去るのを待つ気持ちというか。悪い事はあまり起こりませんように。悪い事があっても、守られますようにと、あまりに不安の強いときは、お守りをもって行っていました。

 

別に神社のものではなくて。小学校低学年のとき、1か月ほどいじめに合った経験がありますが、その時母がお手製のフェルトのお守りを持たせてくれました。クラスで孤立無援に思っても、お守りを見れば、自分を全肯定してくれる母と、家族と、繋がっている。それは自分で自分自身を強く肯定する気持ちに切り替えてくれ、強い心の支えになりました。

 

…余談ですが、当時私は引っ越したばかりで、地域の友達とすべて分断された状態で学校に行っていました。それまで住んでいた地域への思い入れが強く。いじめっ子にしてみたら、早くうんと友達になって欲しい(舎弟くらいには)のに、あまり心を開かないというのが、今思えばいじめのきっかけだったなと思います。

 

ボスっぽいオープンな子って、その気がなくても、心を開くのに時間差がある相手に対し、いじめにも見えることをしたりしませんか(^^;)。結局相手とは打ち解け、こちらにはやや傷が残ったものの、人生勉強にもまあなった気がします。

 

身に着けていると、逐一自分で見ることができるので、校則などでOKの場合は、指輪やミサンガ、手作りシュシュを腕につける、なんかもいいかも知れません。不要だなと感じるようになったら、思い切って外すのも手かも知れません。環境の変化に慣れて、被膜が必要なくなった、という事ですよね。

 

(3)言葉を知る、知識を知る

いじめられている子の場合、発達年齢が集団からずれている子は、いじめの対象になりがちであるという知識も、少し達観する手立てにならないでしょうか‥。集団より少し老成している子。いじめられていなくても、何となく集団に馴染めないというのは、何も発達障害だから、問題があるから、なんかに限らない気がします(発達障害が発達年齢のずれを産む要因にもなるでしょうが、私はそれって問題かあ?と思うことが多いです)。

 

私は最近女性のアスペルガーの特徴にあまりにはまりすぎた人生で、調べれば、軽度アスペルガーに引っかかるのではと最近思っていますが、もう一つは一人っ子で長男長女の子供で、家族のあらゆる困りごとを聞いて育ち、多くのクラスメートと悩みが違った、というのもあるかとも。

 

夏休み明け、アイドルの話や先生のゴシップ。チューニングできない。…私の夏休み明けは、両親が亡くなったら、若い祖母(面倒くさい)の面倒を私が見るんだろうなという不安とか、家の補修ができる程度に私は経済的自立ができるんだろうかとか(苦笑)。家のお墓は結婚した場合、どうするんだろうとか、結婚しなかった場合、どうするんだろうとか。じゃあ子供は2人産まなきゃいけないのか?(一人旦那方を継ぎ、一人実家のお墓を継ぎとか…)とか。あるいは母の仕事上のすごいトラブルを聞いて心配だとか、父(私に輪をかけて自閉的傾向強し)に気を使ってヘトヘトだとか。

 

先生のゴシップ、今なら余裕があって、「へえ~~そうなんだ~~!?」と無邪気に楽しめますが、当時はびっくりして唖然としたうえ、どのチャンネルに回しても合わないと泡食らったのを覚えています。発達障害の特性で「興味の幅が狭い」なのかも知れませんが、どうなの、「どうでもいい」というか(苦笑)。そこはどうなんですかね、克服して「興味の幅を広げる」べき?…どうでも良くないっすか!?

 

知っている子で一人、どこかとても老成していて、クラスに居場所を感じず、不登校気味な子がいました。何にも悪いことではないと思います。それでもいていい場所であるべきですよね。

 

…何で、学校の先生は、特に幼児期、学童期でしょうが、集団に馴染まない、友達と遊ばないを問題視するんでしょうね…。明確にやるべきことを箇条書きにしておいてくれたら、やるから、その他は勇気をもって暖かく見守っていてくれよと思うことも…。

 

話がそれてしまいました。自分はマイノリティであり、正すべきであるという知識は、上記の「興味の幅が狭い」みたいに、何だか悲しいことに、放っておいても耳に入れられます。

 

いやいや全国的に見たら全然マイノリティではなく、正すべきことでもなく、これはこれで充分いいのだ、という自信みたいなものを、知識から得られたらとも、当時を振り返って思います。なぜか、明るく元気に、好奇心旺盛に、みんなと合わせなきゃと思っていたんですよね。

 

資格の勉強で、発達段階が他と少し違う子はいじめられやすい(全部が全部ではないと思います)と聞いたとき、それが集団より少し大人な場合もしかりと聞いたとき、ああ~~それ知っておきたかったかもなあ、と思ったのを覚えています。

 

我が子がなぜかアレルギーに非常に興味を持ち、図書館で借りて借りてというので、アレルギーの本を大量に(苦笑)借りています。

 

体に入った栄養素を、免疫システムが、攻撃して排出すべきものと考えてしまうのが食物アレルギーだと…読んで理解しているのですが(間違っていたらすみません)、学校における個人も、ちょっと似ているなと…。

 

集団に馴染めない、何か間違っている気がする。そうしたとき、免疫細胞は自分自身。排除すべき本来攻撃対象ではないはずのものも、自分自身。自分で自分をチェックし、自分で攻撃してします。

 

集団から浮いていると他人からいじめられる、という事もあるのでしょうが、こうした、集団において自分で自分を律しようとするあまり、人知れず自分で攻撃してしまうみたいな状態も、多いのではないかな…という気がします。

 

学校は本来誰しもがいていい場所なので、たとえうんと浮いていても、それは肝臓と心臓みたいに、全然違う役割なだけで、違うけれど、別にいいはずですよね。人間て、そういう風に色々いるようにできているんだろうと思う。

 

9月1日、子どもの自殺率が上がるなんて余りに本末転倒なことが、早く過去のことになりますように。