やわらかい ぱん

マジカルバナナ、バナナといったら黄色。教室の彼らももう成人。

緑色ってきれいだよね

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

これ分かるなー。

 

私が障害児の世界に入ったきっかけは、教育実習でした。美大を出まして、…実はその頃、家庭も荒れ気味でして、私は摂食障害を抱えておりまして、何とか卒業したのに、就職がない時期でした。ロスジェネ世代です。

 

頭を下げてコネを使い、派遣社員。働きながら中途採用で社員。でもまあブラックで、営業方針も大転換、ここにいても将来が見えない。そんな30歳。一念発起して大学に学士入学し、教職の免許を取りました。その介護等体験の際、知的特別支援学校で、出会ってしまったんですよ。

 

発語はないけれど、こちらの言うことは分かっている様子の大柄な自閉の子でした。なぜか彼と私は気が合い…なぜかセットにされることが多く、そしてなぜかそれほど難しい子でもなく、先生に言われるがままに一緒にいました。

 

プラ板工作をする時間になり、下絵を渡され、その枠線を描いてあげるように、と言われました。その子はグー握りで感覚遊び的にペンは走らせるものの、形を描く様子ではありませんでした。だから枠線を描いてあげて下さい、なのかな、と。

 

いくつか下絵を提示すると、彼はスイカの絵を指さしました。だから、スイカの下絵を描きました。それを渡すと、少し塗るのですが、私に返します。で、私の手を取って、絵の上に置き、塗れと言っている様子でした。私が塗っていいんだろうか?…まあ、塗るか。

 

緑のマッキーか何かで塗っていると、その子が机に頬をつけ、マジックの先が動くのをもう、今生で一番美しいものを見るかのように、うっとりと見ているのです。そのとき、思いました。

 

私は小さい時から絵が好きでした。がんばって受験して(受験倍率27倍)、美大に行き、だけど何がいい絵なのか、それは教授がいいと言うだけで、結局教授の絵で。君の絵は○○教授にそっくりだ、と他校の教授に指摘され、私は何を描きたかったのか分からなくなり。何か、そこで突き詰めたところで、今度は仕事もなく、食える口がすぐにあるわけでもなく。辛うじてそこそこ好きだった英語に切り替え、そうしたら仕事があり。

 

私は何で美大なんか行ったんだろう。何で絵なんかに人生かけようとしたんだろう。それでも絵が大好きで。大学を出る頃から、恐ろしい枚数を書いたけれど、誰かが見てくれるわけでもない。否定されるくらいなら、見せたくもない。私の言葉なんだ。私自身なんだ。私の精神なんだ。マウント取られて、ニヤニヤ好き勝手言われたくもない。

 

やがて絵と自分が接近しすぎ、描けば不安がそこに描かれていて、自家中毒のようになり、他の作家の絵からも感情が入ってくるようになり、非常にしんどく、夕方になると不安で息苦しくなり、自分にライトを当てて過ごすようにもなった。歩いていても、自分の頭蓋骨の中を歩いている感じがする。新しい情報が欲しい。自分の世界を壊したい。しばらく筆を断とうと決めた。

 

仕事に入ったら、忙しすぎて、絵を描きたいと思っても、まとまった時間もない。画材が買えるほど潤沢なお金も稼げていない。仕事も不安定で、仕事を続けることに必死だった。まず仕事で安定して、そのまず仕事が全然安定しない。

 

数年間、まともに描けないままで迎えた教育実習。絵を断って、創作を断って、自分の世界観を断って生きて見れば、自分は(自分で言うのもアホですが)存外優秀で、何にも人並みのことはきっとできないと思っていたのに、結構仕事もそれなりにやって。

 

だけどずっとカサカサで。何も面白くなくて。

 

緑のマッキーでスイカの絵を塗っていたとき、その子のあまりに澄んだ、キラキラした瞳を見て、

「ああ、緑色って、きれいだよね。」

とその子に言い、…泣けてきたのでした。

 

緑色ってきれいだよね。それだけで良かったんじゃないか。

 

私はその子に救ってもらったのです。

 

…だから、私は今もここにいるんでしょう。