やわらかい ぱん

マジカルバナナ。バナナと言ったら黄色。…黄色といったらバナナ。…バナナと言ったら黄色!黄色といったらバナナ!!バナナといったら黄色!!!(腕が上げられないのに腕を上げないとできない活動で憤る筋ジスの先輩2人の怒涛の時間の潰し方)

ファインディング・ドリーと我が家の面々(一部ネタばれかも知れません)

子供時分の栗原類さんが『ファインディング・ニモ』を劇場で観た時、

「ドリーってすぐ忘れちゃうんだね」

と母親に言ったそうです。

 

母親はそれまで障害特性のことを本人に言っていなかったそうですが、これを機に、本人に伝えたそうです。

「実は、あなたもそうなのよ。」

 

続編である『ファインディング・ドリー』は、興行収入はそれほどではなく、人によって「面白くなかった」という方も…と聞きます。我が家も劇場では観なかったのですが、いやあ、観ても良かったなあ。今日娘とwowwowで観て、大感動。我が子は一度見終えてすぐに「もう一度見たい!」と言うほどでした。

 

ドリーは確かに、何らかの発達障害を明確にモデルにしていそうです。

 

さて我が家。ファインディング・ドリーでいうタコが私です。

 

私自身が自分で自分を「無理」と縛り、あのタコのように、やりゃあそれなりに乗り切ったりするのに、無理、無理、無理…と水槽の中に引きこもりたい傾向があります(というか、それで引きこもりになりかけた事が)。

 

一方旦那はあそこまでではないにしろ、ドリーが若干入っている…と言ったらどうなんだ、ですが。随分丸く育ったものの、忘れることは多い。ただ、思わぬ所で頼りになり、非常事態で「これ詰んだわ」と思考停止に私がなるところで、覚醒するようにも感じます。そう、私はどういうわけか思考停止になるんですよね。

 

ドリーと出会ったタコの気分。人生一番幸いだったなと思うことは、結構計画外のところでの出会いだったりもします。ドリーのタコへのメッセージは、私のためのメッセージに感じます。

 

私は実父は、旦那とある種逆といえるのか、これまた少々変わった人です。例えばカレンダーの日付で予定をすべて決めていて、全く何年もその通りに動く人でして。言葉のやり取りにどうも曖昧さを許さず、どう転んでも一通りの解釈しか出来なさそうな言葉遣いを徹底する人でした(職業病かも知れませんが…)。

 

会話のはじめと終わりは、かならず1つのところに帰結するように徹底する。途中で話が違う方向に行くなんてことは、まず考えられませんでした。最近はこちらも丸くなりましたが。

 

…なので、旦那との会話、常にその時何となく思いついたことが会話を違う方にもっていき、まず会話の始めと終わりが同じところに帰結することがないのですが、これには最初のころは面食らいました。今は、ああ、会話っていうのはグルーミングだしな、と、慣れました。どっちかというと、旦那との会話のほうが楽かなあ。

 

昔は対父で曖昧な物言いを許されず、でした。IT会社の派遣の仕事をしていた時、周囲はどうも父親的な人が多くて、何が幸いするかですが、対父で苦労したお陰か、職場に早めに適応できた気もします。

 

そのIT会社は学校のクラスのような、曖昧で何がなんだか、何がしたいんだの場所と違い、できない、分からないで怒られることはなく(努力しない、能力がないは論外ですが…)、最短の言葉で合理的に物事をすすめることが美しいという価値観で、あれは楽しかったなあ。

 

打ち合わせをするとき、とりあえずマウントを取りたいとか、分かっていないけれど威張りたい人への対処法は学校で身に着けてきていたものの、それとは全く違う世界でした。話の中でどれを言っているんだと突っ込んではっきりさせても、そもそも私はかなり性格がキツく、普段それをあまりださないようにする癖がなぜかいつの間にかついているのですが、そのキツさが全面に出ても、むしろその方が巧く行く、求められるという、不思議な空間でした。

 

うわあ、こんな世界があったとは…と思ったのを覚えています。うわあ、こんな世界といいながら、打っている自分にはドリーとニモの泳ぐ広大な海が浮かんでおります。思えばあれも、美大を出て就職先が皆無だった(ロスジェネ世代です)というハプニングで出会った海でした。計画通りだったら、きっと見ることも感じることもなかった海だったんだろうと思います。

 

実母も何だか分かりませんが、少しでも集中すると耳が遠くなります。テレビを観ているだけで私の声は届かなくなるので、子供のころは難儀しました。これは祖母も同じだったそうで、私には受け継がれず、なぜか隔世遺伝で娘に受け継がれました。

 

娘はそんなわけで、幼稚園でお名前を呼ばれてもボーっとしていると再三注意されております。が、我が家にしてみたら、むしろ私がマイノリティなので、むしろ世間的にこんなに私の特性だらけなんだ!?というのが驚きです。みんな、それ普通だと思っているの?むしろ我が家では、マイノリティ…。

 

限られた小さな海に住み続ける大人は、かえって「海って(世間て、世界て、社会て、生きるって、人生て)こんなものだ。適応しなきゃダメ」と子供に教え込もうとする気もしますよ。タコさんはドリーに会う前だったら、きっと子供に「海は危険だ。結局水槽が一番安全でいい」と教えた気がします。

 

娘と接する大人は、できるだけ色んな海を知る人がいいなあ…と思っています。集中して耳が遠くなるなんて、我が家じゃスタンダード。そして、その特性を持つ家族は、他より学力が高いんです。(なので、祝福だと思って育ててきました)

 

再び我が家の旦那ですが、連休が終わる最終日は必ずと言っていいほどなのですが、最後の最後まで「まだ俺は明日には行かないぞーー」と外に出て徘徊して連休を惜しむので、今日もどうぞというわけで、一人お出かけしています。

 

考えてみれば私の父方の祖父は雪のシーズンは全く家におらず、山小屋にこもりっきりでスキーをする人でした。正月いた試しがない、とか聞いた記憶が。とはいえ家族思いの人でした。そんなわけでなのか、旦那が元気に単身どこぞに行くのは、何か想定内なんだなあと自分で思います。

 

ファインディング・ドリー』には、色々なキャラクターが、それこそ色々な特性や身体的な特徴(ニモは片方のヒレが生まれつき小さいですよね)が設定されているのかな?と思わずにはおれないキャラクターがいて、それが海の生物たちだったりして。映画のナビゲーターをwowowでしていたサカナ君さんもイメージに加わり、色々な生き物がいる海、色々な人たちがそれぞれ生きる広大な場所、何だか予想以上に、ぶっちゃけると個人的には前作以上に面白かったです。