やわらかい ぱん

焼き肉はホルモンが好きです。みなさんはどうですか。

仕事でなく家庭でなく第三の苦労、からの

あえて苦労といってしまっていますが、子供のお友達(発達障害あり、服薬あり)のことで、悩んだり考えることが増えてしまい、勝手に疲弊しています。自分いい人面しなきゃいいのですが。ただ、我が子はその子ととても仲がよく、いないと寂しがり、~は人のためならずは真理かもなあと。

 

発達障害はグラデーションみたいなもので、みんな何かしら持っている…ように思います。実はどの手立ても、視点も、色々な場面で有効なんだろうと。

 

検索していて出てきた記事です。すごくお勧めです…。(もういっそ、当ブログではなく、こちらの記事をお読みください)

 

www.gakken.co.jp

 

我が子とセットで一緒にわちゃわちゃと遊ぶ場合、兄弟児がいたら、こんな感じなのかな、こういう問題点が生じやすいのかな、というような学びをさせてもらっています。兄弟児。知人に一件、障害のある子ではなく、健常だったはずの兄弟児のほうが病んでしまったケースがあります。また、健康に育ちましたが、障害のある兄弟に親をとられ、寂しかったという知人もいます。

 

地域で、周囲の人とつながりながら、というのを理想にするのに、周囲の人や一番身近な人が我慢を強いられるのは、長続きしそうにありません。片方ばかりがしんどい関係になってはいけないですよね。

 

我が子といるとその子が落ち着いているので、保育者もまるで小さい支援者のように我が子を扱い、無意識か意識的にか2人でいつも放っておいているのが見えるとき。ちょっと注意しないといけないな、と正直思ったりもします。

 

我が子は外で「イヤ」をあまり強く言えなかったりします。さらに大人びて見えるのか、本人が傷ついている状態より軽度に「もう大丈夫だよね」と適当に流されることがあります。あるいは「大丈夫になれ」と強引に収拾をつけられることも。暴れない子、手のかからない子は、余り時間を割かれないというのは、集団指導の悪いところです。

 

他害や強引さ、問題行動のある子供に寄り添うあまり、周囲の子を犠牲にしたり、我慢を強いてはいけないという視点は、案外現場で忘れられがちに思います。

 

例えば上記のリンクの記事にもありますが、暴力的な言葉をかけられたとき、噛みつかれたとき、嫌なことをされたとき。悪気はなかったんだとか、それほど悪い奴じゃないというフォローを、私も我が子に対してしてしまっています。が、どうなんだろう。やられた方は、下手をするとショックと、相手ばかり贔屓され、自分はまともに取り合ってもらえない不公平感や寂しさが残る怖れを持ち始めています。

 

我が子は、お友達と一緒に遊べた楽しさと、母親が自分の一番の味方ではない寂しさの両方があった様子で、それを聞いて大変反省しました。私自身、子供が他害を受けたとき、激しいショックがあり、ショックがありすぎて、かえって「あ、噛むんだ。油断した。」と冷静になってしまいました。子供のことは、あまり直情ではいけないかな、とセーブすることがありますが、少なくとも被害を受けた子に対しては、ショックを正直に出してもいいのかも知れないなあ、とも反省しました。

 

療育のバイトをしていた時、女の子の長い髪の毛を引っ張って、イスから転げさせた子がいました。問題を起こした子の保護者も一緒だったので、保護者に対して、スタッフがこの問題を起こした子のフォローをしました。悪気はなかったのだと思う。目の前に髪の毛があったから、衝動的にだと思う。席が近すぎました、すみません。

 

だけど、引っ張られた子とその保護者に対してのフォローが全然なかった。問題を起こした子を「受け止める」ことに必死で、他害を受けた子への配慮が抜けてしまいました。痛かったのに。びっくりしたのに。何一つ悪いことをしていなかったのに。

「すいません、わざとじゃないと思うんです。」

という軽いフォローはあったものの、それで何になるのかと。

「痛かったね、ごめんね。大事な〇〇ちゃんに痛いことしちゃ、絶対ダメ!って先生、ちゃんと叱っておくから。」

髪を引っ張った子が、理解して「ごめんなさい」ができるフェースの子ではなかったので、「ごめんなさい」を強いはしないものの、嫌なこと、痛いことをされた子に、君は何も悪くない。悪いことをしたのは相手の子だね。をはっきりさせるのは抜けてはいけない気がします。さらにその先に、だけどね…とか、実はね…という話が来るかも知れません。初めから、やられて我慢しろ、はおかしい。

 

最近子供の習い事で見た光景で、こんなことがありました。あの子は障害があるのだろうな、という子がいます。その子は自分に対しての言葉か、そうでないのかが難しい様子が。言葉の暴力があったり、時に慣れた相手だと物理的な暴力が出ることもあります。

 

隣に、なぜか大人しく賢い感じの年下の子が座らされていました。隣で計算の過程をぶつぶつと独り言し、「できた、俺天才!」と声を荒げたり(大人からすると可愛いくもあります)。また、隣の大人しい子の答案をのぞき込んだり、時に勝手に傷ついて(他の子が他の子へ言った言葉を自分へのものだと誤解して)、隣の子に「お前がバカだろ!お前死ねよ!」と暴言を吐いたり。自分が集中力が途切れると、隣の子に大きな声で話しかけ(声の大きさの制御はあまりできないようでした)、プリントを奪ったりして、そのつもりではないのかも知れないけれど、隣の子は何とか頑張って集中するたびに、それを削がれます。

 

本人はすごく奮闘して、怒鳴ったり、ちょっかい出したり、集中したりを繰り返し、それでも真面目に課題をやって(本人はちゃんと課題を終えようという頑張りがあって、そのための七転八倒なのでしょう。雑音の多い環境で、人以上にがんばって、えらいのです…)、いち早く自分の分の課題を終えられました。先生達はその子の自尊心を伸ばすべく

「すごいじゃない。5枚できるようになったじゃない。」

と肯定的な声かけをしていました。本人も表情が非常によく、自信をつけ始めているようでした。が、その横で年下の大人しい子が突っ伏して、泣いていることには、先生方注意が向きません。

 

これが例えば学校の教室で重なって、「何だか疲れた」と、当人自体の問題ではなく、強いていえばスルースキルがうぶなだけで、病む子もいるんじゃないか‥と見ていました。(その後周囲の年上の子がフォローしてくれていました)

 

インクルージョンにするということは、大人だけが障害のある子の対応をするだけでなく、同世代の子も対応する立場になるという事です。

 

例えば髪を引っ張られた、という場合、問題を起こした子への理解や配慮、指導はもちろんこと、引っ張られた子に「あの子は特別だから、君は泣いたり怒ったりしません」と言う、奇妙な大人都合のプレッシャーをかけないことも、学ばないといけない気がしています。

 

それでは子供同士遊ばせちゃいけないのかというと…。我が子のお友達は、親御さんに叱られそうになると、わらわらとその子を擁護するお友達が出てきます。子供はおそらく、大人よりも、同年齢のクラスメートのほうが、障害の有無などおいておいて、身近でシンクロする存在なのかも知れません。その子への大人の対応が、実は暗に自分への対応でもあるようです。

 

昔教育実習に行ったとき、要注意といわれる子が一人クラスにいました。ただ、にわか者の自分はあまり情報がなく、それが返って功を奏して、クラスでその子が発言をするたび、積極的に拾っていくうち、クラスの子の表情が、本当にみるみるぱーっと明るくなったのを覚えています。

 

大人の視点では、この子を黙らせないと他の子の授業妨害になる、どうにかしなくちゃ、と見えていたのが、実はクラスの子たちは、大人に毎回怒鳴られるその子を、自分たちとさほど差はないと感じていて、自分たちもつらく感じていたのかも知れないと。いわばそのクラスメートは、他の子たちの体の一部かのようでした。その子が受け入れられるということは、自分たちをも伸び伸び受け入れられる、ということなのかも知れません…。

 

我が子の腕に歯型があります。だけど、「もう痛くないよ。全然もう痛くないよ」としきりに言います。まるで、私がお友達に腹を立てるのを、腹を立ててくれるなと言うように。

 

追記: 子供にもよるのでしょうが、他害を受けて、子供の何が傷つくのかというと、自分が攻撃された、ひいては自分が非難され、嫌われたという気持ちではないかと感じるようになりました。

 

我が子への噛みつきが生じてしまったとき、とっさに痛かったね、びっくりしたねとまず十分気持ちを受け止めつつ(先方のお母さんにしたら、ここにたっぷりと時間を割くのは胃が痛いだろうかも知れませんが、ここばかりは被害を受けた子最優先でよいと…)、噛んだ子の様子から、「嫌いで噛んだんじゃないんだよ。どうしよう、どうにかしなきゃ、って思って、思わずガブリってしちゃったんだよ。」と説明しました。すると、我が子の受け止め方が違ったように今では思います。

 

小さいとき、集団保育の場で、なぜか我が子はよく噛まれる子でした。その場にいなかったため、フォローもできない。先生達は忙しく、「痛かったね」と形は受け止めるものの、心の「早く泣き止め」は透けていたんじゃないか‥と思ったりします。さらに保護者への連絡はなし。我が子から直接聞き、歯型から理解。

 

この時我が子はずいぶん「痛かった」を引きずりました。夜な夜なフォローをした記憶があります。

 

噛まれた事実より、その背景が自分への本当の攻撃ではないという理解ができると、案外、他害のダメージは軽減されるものなのかも…と今思い始めています。

 

また、本当に攻撃の意味で噛まれたとしても、その時何か嫌なことがあって激高していた、という状況であれば、これも、「イヤなことをまだ説明ができなくて、思わず噛んじゃったんだと思う。」と、噛んだ子の背景を説明することは、噛んだ子へのフォローだけでなく、噛まれた子にとって、自分を否定される行為(噛む)を、心にあまりダメージを残さずに出来ることと、繋がるかも知れません。

 

追記2:我が子が次第に嫌なことをされたら、じっと困惑顔で我慢せず、ダッシュで走って逃げたり、時に大声で激高するようになりました。我慢するのではなく、二人とも感情をぶつけ、折り合ったり歩み寄ったりすることを学んでいます。

 

お互い一触即発を、不思議なもので、奇妙にケガなくスルーでき、またけろっと仲良しに。そしてまたどちらかが激高し、「やんのかてめえ、この野郎!」みたいな威嚇をしあい、なぜかまた仲良しに。我が子も就学前にきちんと最大限に激高することを学習し、とても良かったように思います。すいません、ありがとうございます。