やわらかい ぱん

いつか絵本にまとめたいブログ

くもんの先生の説明会に行ってみた

子供がくもんで国語をやっています。

習っておいてなんですが、国語を習うって何をするんだ?と謎でした。

ともかく、子供はせっせと数行の平仮名の文を読んでいます。楽しそうです。

 

私も公文を習っていました(算数のみ)。ほんの2~3年でしたが、すらすら解ける下学年の勉強からはじまって、気づけば学年より先を進むようになりました。学校では既習の勉強をするので、余裕をもって授業を聞けました。

 

最近まで、公文の印象って自分の中にそんなに残っていなかったんです。公文から切り替えた中学受験用の進学塾は、とにかくスパルタで競争心をあおるスタイルでした。一斉授業で、なぜかいくつかの授業はボーっとしてしまい、よく殴られ、その後も悪夢として何度も見るくらい、よくも悪くも強烈に印象を残しているのですが。

 

公文の印象…。子供に連れ添って公文に通う毎日で、だんだんと思い出してきました。印象がないのは、あまりストレスがなかったからのようです。

 

自分のレベルの問題が来るので、全然解けなくて悪夢を見るような事はまあなく(塾や中学入試の一斉模試では多々あった)、苦労をしている自覚も、ともすると勉強をしているという自覚もなく、ぼーっと問題を解いて、ぼーっと帰ってきたように思います。

 

時には、苦手な範囲でなかなか100点が取れず、何度も何度もプリントを突っ返させ、何が間違っているのか分からず、イライライライラ(先生も巻き込んでイライラ)したのは覚えていますが、「自分はこの手の計算、随分注意しないと間違えまくる」という自覚が芽生えた程度で、特別嫌な思い出も、特別いい思い出も、本当に特にないのです。

 

自宅開業教室だったので、先生の子供が台所からびっしりカビの生えたミカンをもってきて、

「ママこれ、何?」

と聞き、先生が大慌てする、ということは、面白おかしな記憶として残っています。カビってあんなにきれいにみっしり生えるんだ…みたいな。

 

どうしたってストレスがあるはずの勉強する場にしては、いい場所だったのでは、と今更ながら思います。

 

さて、子供の習っている公文の国語。国語って何をするんだ?

娘の公文の先生は、最初は国語を習うのがいいよ~と言うのです。都立高を受けるなら国語の長文の量は半端ないし、読書好きになるかもしれないし、全ての学力の下地になるよ、とも。

 

国語の点数は良かったけれど、中学の後半から数学や化学の点数が壊滅的だった私は、国語がどんなメディウムの役目をしているのか、今一つ懐疑的でした。だったらもう少し数学、化学、マシでも良かったのでは…。

 

娘の公文の先生。実は上記の私が小さい時教わっていた先生でもあるんです。40年は教えられているのでは…。始めからあまり商売っけのない先生でして、何だかもう親戚みたいなものなので、国語なあ…と思いながらも、習い始めました。

 

いや、国語、いいものです。

 

ちょっと話が飛びますが、最近私は趣味半分、実益に結び付くかもという期待半分で高校英語を自習しています。入試問題の難易度高めの長文を四苦八苦しながら読んでいると、国語力っていうのは、他の教科でも、見えないところで効いているなあ、と実感しました。

 

英語。高校でも、大学でも、入試では大体長文が出ますよね。その全部の単語が分かり、全部の言い回しがわかり、手にとるようにスラスラ文が読める…ということは、殆どないんじゃないか、と思います。

 

分からない単語は周囲の文から当たりをつけます。一文まるまる分かりにくい時も、文の流れから、それが例えば文章全体のターニングポイントになる重要な文か、重要なくせに一度しか言わないいじわるな文か、あるいは他の文から流れをつかんでいれば乗り切れる文か、当たりをつけます。

 

読みながら何を言おうとしているのか予測をしたり、理解をしたりしながら読み進めます。「何を言っているのか」の理解や了解に、それまでの文章を読んできたストックや、国語力が効いているかも知れないと感じます。全く予想外のアイディアを書いてある文と、どこかで見聞きした内容や、それに準ずる内容の文とでは、同じ単語力、熟語力でも、理解の容易さが全然違うように思います。

 

「この長文に最も当てはまるものを以下の選択肢から選べ」という問題は、四苦八苦して長文を読みながらも、一文一文細切れで処理するのではなく、「この長文はどういう構成で、各段落では何をいっていて、全体で何をいっているんだ?」と把握しながら進む技能が必要です…よね。

 

theyやitといった「代名詞の意味を明らかにして、この一文を訳せ」という問題では、代名詞の意味を文章の中から探す力や、「この意味だと…何か変だな」という読解力、そういうものがすごく大事ですよね。

 

同じ言語や文章を扱う科目である国語と英語。英語のごくはじめの学習ではあまり感じないかも知れませんが、そこそこの長文になってくると、こんなにも国語の下地が必要になってくるんだな、と感じます。…つうか、感じています^^;

 

算数や数学の文章題にも国語の力は生かされる、とは聞いたことはあります。算数数学の文章題なんて、国語力そんなに要らんだろう…?と思っていたのですが。

 

最近家庭教師派遣会社の抜き打ちテストを受け、なぜか数学も受けさせられたのですが(教えられません、と自ら辞退していたのですが^^;)、挑戦してみると、思ったよりも解ける。…いや、普通の人はもっと解けるんですが。

 

少なくとも自分が中学受験した時より解ける。あれから云十年経っているのに。たぶんこれは、文章題でややっこしい所を、そんなに混乱せずに順序立ててどう計算するか整理できるようになったから、なんだろうなと。小学校のころより、多少なりとも国語の力がついて、苦手だった数学にも効いているように感じました。

 

さて、そんなこんなで、毎日子供の公文の宿題に付き合ったり、一緒に通ったりしている内、すっかり公文に傾倒し、今日公文の先生になる説明会を受けてきました。

 

まだ本腰で開設する段階ではないですが、やってみたいなと思う自分もいて、とりあえず個別説明会&試験という、次の段階に進もうかなと思っています。恐らくテナントを借りて…になるので、まあ慎重になりますが…。

 

試験。…数学勉強しなきゃ…。

 

公文の名誉のために言っておくと、公文でやっていた算数の範囲は、本当に不思議なことに風化せず、云十年経っても平気でテストで回答しています。

 

なんかこう、あれこれ勉強したいことが出てきて、充実した気分の春です。