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やわらかい ぱん

いつか絵本にまとめたいブログ

障害者福祉施設の悲惨な事件

去年から知り合いの自閉症の男の子と、今日娘を連れて行った出先で、ばったり会いました。どうやら、デイサービスの夏休み企画で来た様子。わあ~~久しぶり。

 

といっても、男の子は私を憶えてくれているような、いないような。先日久しぶりに合って、挨拶したら、キョトンとしていた。なので、今日は声をかけようかどうしようか、ボーっと見ていました。

 

すると、階段の下から、どうもこちらを見ている。何度も違う所に行っては、また戻ってきて、じーっと見ている。何か私の近くにある、違うものを見ているのかなと、ぼんやりそれを見つつ、一応口角をあげて、にこにこしていました。

 

で、娘について歩き回っていたら、ばったり鉢合わせした。声をかけてみた。

「○○くーん!」

すると、ぱあっと嬉しそうな顔をして目の前まで来て、お腹を触ったり、カバンを触ったり、娘のポシェットを触ったり、いつも会っていた時と変わらないリアクションをしてくれた。いや、いつも以上に、何だか、すごく、言葉にできない、溢れ出んばかりの嬉しさを持て余しているように見えて、意外で、動作一つ一つがうれしい。

 

「一年生になったんだよね。」「うん。」

 

まさか、会話が成り立つとは!!いつも、近くの公園で会っていて、私のまたがる自転車のボタンを押したり、鍵を抜いて逃走したりで、人 < ガジェット だったのに。

 

いやあすごい、すごいなあと思いながら、

バイバイ

と手を振ると、ちゃんとこちらを見たまま手を振って、

バイバイ

と言ってくれた。

 

これまで、私だけバイバイして、お母さんに捕まえられて

「おーい、バイバイは?」

と促されて、そっぽを向いて仕方なく、小さく首を下げるくらいだったのに。

 

ほら、この気持のすがすがしさは何?世の中に重度障害者は要らないとか言う人がいるそうですが、そりゃあ慣れ親しんだ方法が通じず、疲労困憊することもあるけれど、おそらく好き好んで障害児支援をしている人の多くが頷くと思うのだけど、定型発達の世界にいるよりも、支援をしている方が、ずっとすがすがしくて精神的に健康でいられる人だって、時だってある。

 

私の知っている重度重複障害の女の子は、お母さんが

「なーんにもできませーん。」

と言うくらい、あらゆる項目で自立はしていないのだけど、すんごくすんごく可愛い。しばらく留守にしていて彼女の所に戻ると、私の声にぱあっと表情を変え、私が座ると、寝返りを打って顎を膝にのせてくれる(座位がとれない、目が見えない)。

 

かわいいっっ!!!

 

まじで、あれは何だろう、あの可愛さは、もうね、もう、プライスレスならぬ、カテゴリレス。

 

賃金や待遇や、仕事のきつさ、もしかしたら自分よりも、非介助者の人権だけが守られているというやるせなさ。でも、殺すだろうか。家族の介助だったら、逃げられない。いっぱいいっぱいになって、逃げ場がなくて、思い詰めて、まるで心中をするように…。だけど、赤の他人。家族と赤の他人は、やっぱり責任のかかり方が違う。

 

噛まれて、殴られて、

「おい、犬だってきつく噛まれたら、お前いい加減にしろよって噛みつき返して教えるぞ。噛みつき返さないことが人権擁護だっていうんなら、私の人権はどうなるんだ!?」

と叫びたい時はある。だけど、殺すか?

 

保護者が了承するなら、安楽死をと犯人は手紙に書いたらしい。でも人が関係を持つのは、親御さんだけではない。私は、あの重度重複の可愛すぎる子や、自閉の子が、あくまで仮定だが、絶対ないんだが、親御さんのハンコ一つで殺されるのは嫌だ。私にとっても大事になっている存在だ。親御さんが抱えきれないというのなら、分母をでかく、情が沸いちゃった全員で支えるべきだ。

 

障害者は役に立たないだろうか。そんなことはない。地域のハブになることだってある。私みたいにどう~~~も、ど定型発達の人が苦手な人間の、止まり木になることだってある。がんばりで、人を勇気づけることもある。マイペースで「そうだよなあ…、分かるよ」と共感を呼ぶこともある。目立つので、今日もいるなって、それだけで何か落ち着く時もある。

 

役に立つ、立たないで言うのなら、誰にも頼まれていないのに、妄想的な何かにとりつかれて、命をいくつも奪い、多くの人の心身を傷つけた、その犯人はどうなんだろうか。私は共に生きるとするなら、身辺自立はできないが、他害はあるかも知れないが、今回の犯人より、ずっと、身近にいる重度障害のある人の方がいい。怖くないから。

 

 

事件について、いろんな記事を読んでいます。

 

第三者が凶行に及んだのではなく、施設に勤めていた元職員の犯行ということで、この施設の職員への処遇が非人道的だったのでは、という記事も読みます。

 

もちろん、精神論や根性論ではなく、介助をする側が、給与の不安がなく、待遇面に満足があり、精神的な余裕がある状態でなければ、とても利用者さんをを受け止める本当の余裕など生まれません。いつも、節に福祉職の賃金待遇の底上げを願います。

 

が、記事を追ってゆく内に、今回の犯人、ちょっとおかしな事を知りました。教員の父親に憧れ、教員免許のために教育実習までしたのに、大学中に入れ墨を入れ、入れ墨があると教員になれないということで、教員の道を断念。…?

 

何だか、奇妙に浅はかではなかろうか…?もし本気で教員になろうとしていたのなら、入れ墨を入れるだろうか…?しかも、いっぺんに入れたのではないのかも知れませんが、ニュースサイトの写真、ものすごい量のモンモンです。

 

その後どこか福祉とは関係のない会社に勤めるも、給与に不満があったとかで、退社。バイトをしていた今回の施設で本格的に勤務を始めたとのこと。

 

何だか、施設に関わりを持つ前から、不安定な印象を受けます。施設での体験がすべてを変えた、とはちょっと思えない。さらに大麻を使用していた過去もあるとか。

 

あまりに極端な犯行、犯人自身、何か反社会的な障害があったのでは、と疑ってしまう。あまりに極端に優生思想にとりつかれる人は、その人自身、何らかの障害があるのでは…と今回を受けて疑い始めています。自分の方が優生だと、どうしてそこまで自信をもって言えようか?

 

さて、エピソードは尽きませんが。

 

私の知る筋ジストロフィーの青年は、自分の寿命を中学のころから知っていて、周囲の健常者から受ける視線に時に憤りを持ちながら、命を燃やしています。彼は私の中でヒーローです。彼が死んだら、私は大きな灯が消えた気分で、喪失感にもだえ苦しむだろう。そして、それは、私だけではなく、彼とかかわりを持った多くの人間が、きっとそうだろう。彼の寿命は現代医学では短いだろう。だけど、与えた影響力は、計り知れない。

 

優生とは何ですかね。