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やわらかい ぱん

いつか絵本にまとめたいブログ

お盆、送り火

6歳から18歳まで、二世帯で暮らしました。

 

同居した父方の祖父母はキリスト教徒で、毎日食事前にお祈りがありました。それは、素朴なお祈り。家族の健康や、家族の誰かが旅行に行くならその心配を、誰かにテストがあるなら悔いなく力が発揮できるように。

 

祖父は、戦中戦後食べることに苦労した世代らしく、いつも、どんな食事でも、「ごちそうだな!」と言い、必ずお祈りに食べられることへの感謝を添えていました。いつも、いつも、いつも。

 

いつも私の家にはお祈りがありました。祖父が亡くなって、それがなくなってしまった。それから、所在ない気持ちで生きてきたように思います。

 

2つ目の大学で、キリスト教学を履修しました。大学の先生に勧められて、日本基督教団(日本の古いプロテスタントの連合)の教会にも通った時期がありました。洗礼準備の教室にも通ったことがあります。だけども…。

 

お盆。キリスト教徒の祖父母に育てられたため、私はお彼岸やらお盆、仏壇をよく知りません。ナスやキュウリに足が生えて、道端にあるのを、不思議な気分で見ている子供でした。何だろう、これ…。

 

今年、ブログのためにお盆のお菓子を調べていました。それで、迎え火や送り火の存在を初めて知ったのです。

 

迎え火の頃、天国にいるだろう祖父は、周囲の人がお家に迎えられて帰るのを、寂しい気分で見てやいないかと思ってしまい。何だか、不謹慎ではあるのですが、お盆もお仏壇もないのが、寂しく感じました。

 

18の時、美大の1年生だった私は、夏休みの宿題に祖父の絵を描きました。その絵を引っ張り出し、…部屋に飾りました。自分で言うのも何ですが、本当に祖父がいるかのようになるのです。表情も、少し変わるように見えるのです。

 

娘がその絵を不思議がって、しきりに「ひいじいちゃん、出てきそうだね」と言ったり、「魔法をかけたら出てくるかな」と言ったり。

 

大福もちが好きだったので、祖父の絵の前に大福をおいておくと、娘が側から取って食べるのですが、その際祖父の絵に差し出したり、食べさせる真似をしたり。

 

娘に自然と祖父の話をしたり、彼を思い出す日々を過ごせました。祖父の絵を呆然と見ていた実母が印象的でした。祖父の死からずいぶん経ち、ずいぶん年をとった母。お盆のような風習が途絶えてきついのは、次に亡くなるだろう人たちと、それを送る人たちだと感じました。祖父の絵があった部屋には、こうして、ゆるゆると死んでいくのだろうなという、穏やかな空気がありました。

 

送る側としても、人が亡くなるのは寂しく、受け入れがたくて。こうして、年に一度でも来てくれると思うのは、人という生き物が生きていく上での処世術なのか、あるいはもしかしたら、どこか、ある種、近くに来ていて、それを「いない」と思い込もうとするから、寂しいのか。

 

いわゆるお供え物は、祖父はキリスト教だったので、怒られるかもと思ったりし、でも何もしないのも寂しいような気がし、いつも、大福やお菓子を絵の前においていました。

 

旦那と、娘と、私と、祖父のおやつを考えて買うのは、じみに疲れもする作業でしたが、たっぷりと祖父を思い出せ、「一緒に過ごせた」気がするのは、幸福でした。

 

最近思うのです。私はただ、お祈りが好きだったんだろうなと。宗教ほど系統だったものではなく、権威的でもなく、教義があるわけでもなく、同じ信仰を持つ人と何かをしたいわけでもなく、ただ、日々、お祈りをするのが好きだったんだろうなと。

 

娘が元気に充実した日を過ごせますように。旦那が元気に充実した仕事ができますように。祖父母たちが健康に幸せに安全に過ごせますように。私が元気に楽しく過ごせますように。

 

今日は送り火とのこと。祖父の絵を片付け、寂しい。

 

そして残ったクッキーは、娘に一網打尽にされるでしょう。おじいちゃん、孫娘をお守りください。