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やわらかい ぱん

いつか絵本にまとめたいブログ

それ以上の幸福はもしかしてないのではないか

11 Books (本)

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夏だなあ…と絵を描いたら、うってかわって今日は大雨でした。

 

今日、空き時間にふらりと本屋に入ったら、ウルグアイの大統領、ムヒカ大統領のスピーチを絵本にしたものがありました。

 

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スピーチの内容を知らなかった。絵本をちょっと立ち読み…(すいません)して、そうだなあと思うことがあった。

 

昔々は人生40年。15で姉やは嫁に行き。産んで育てて働いて、あっさり死んでいたのではないか。人生80年の時代を生き、消費に強く傾いた社会に生きていて、何か常にお金が足りないと思い、飢えた感覚を割合と簡単に満たせると思い込み過ぎているかもしれない。

 

自分にはいつも、ぽっかりと空いたような感覚がある。それがなく充足していたのは、赤ん坊を抱いているときだけだった。つまりは、そういう事なのではないかと最近思う。赤ん坊を抱きたいと思うがために、穴が空いている。赤ん坊の世話は大変だけど、穴は埋まる。高次なことじゃなく、子供を育てさせるために穴が空いていたんじゃないかと。

 

昔々ごはんが満足にないときは、兄弟で分け合い、親子で分け合い、それでも足りないと弱い兄弟は死んでいき。今度は兄弟の子が生まれたりし。自分のためではなく、自分という感覚もあまりないまま、とにかく目の前の赤ん坊や兄弟を食わせたくて仕事をして。自分て何だろうと考える間もあまりなく、将来に備えて保険をかけるという発想もなく、その日食べるものを揃えるのに必死で、その日みんなで食べられて機嫌がいいことに満足して。

 

でもそこには引きこもりのような孤独はなく、人が寸分の隙間もなく行き来していただろうと思う。人によってはうざい、うざいと思いながら。また、お金さえあれば、と思いながら。

 

お金さえあればみんなが楽に生活ができた。お金さえあれば兄弟を勉強させてあげられた。一昔前はこんな思いがあって、でも、基礎の部分に「みんな」とか「兄弟」とかがしっかりとあるのは、幸福だったのではないかとすら思ったりする。

 

日々の営みの大変さの横に幸福はあって、営みの大変さを抜けたら、そこには実は何にもないんじゃないかとさえ、思ったりする。

 

 

スピーチの内容は、以下の記事で見られます。

 

hana.bi

 

チェルノブイリの事故で、周辺の地域が立ち入り禁止になり、親戚を頼って、あるいは家族で違う地域、街へ引っ越した老人たち。それが次第に危険とされる故郷に戻ってきている、というニュースを見たことがある。インタビューをすると、

 

「だって、街にはすることがないから。」

 

という。そして古巣でもしかしたら汚染されているかもしれない土を、それまでと同じように耕す。そんな映像を見た。

 

働くというのは、本来は難しい事ではなくて、しなきゃいけないことだし、してもいいことだった。そこに耕していい土があり、鍬を握れる体があれば、ややこしい遠回りをせず、労働ができた。だけど今、トマトを作るために費やされる時間と、苗や肥料の費用と、土地代と、トマトを買う費用を天秤にかけると、この労働は道楽になる。その分デスクワークをしたほうが効率がいい。

 

でも何か、病理は深いねという。