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やわらかい ぱん

いつか絵本にまとめたいブログ

愛とお金と健康は一緒にはそろわない

4 People(人々)

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朝、コーヒーを飲みながら。

 

胡散臭いと思われるかもしれませんが、義母が戦後すぐから続く占いを生業にする一族です。易、四柱推命、手相、風水…全然その世界にまだ明るくはないのですが、西洋というより、東洋の、町でたまに見かける易者さんがやりそうな占いの。

 

現在家を掃除に行っているのですが、筮竹とかあります。易者さんがシャカシャカする、細い棒です。易はサイコロやコインで占う人もいるそうですが、筮竹を扱えるようになるには、それこそ、お茶の修行をするようなもので、手慣れた人がすると、とてもほれぼれするほど美しいのだとか。

 

…実は、早くに亡くなった義母の兄は名うての易者さんだったそうで、テレビにも出ていたらしい。今は時代のせいか、下火ねなんて義母は言う。

「でも、そういう時代も耐えて、いい時代もあって、やっていかなきゃね。」

なんて言う。

 

昔勤務していた場所にほどちかいところに、小さな蕎麦屋がありました。そこのおじさんが面白くて、飾らなくて、気持ちよくて、よく通っていました。早くて、べらぼうに安くて、そこそこうまいというのもあって。

 

「商売のコツは、身の丈にあった商売をコツコツやることだよ。周囲見ると、派手にやろうとしたのは全部つぶれちゃったよ。俺なんか店持って30年になるけど、そこまでやると、売れる月もあるし、売れない月もあるって、大体わかってくるの。そうするとあんまりオロオロしないね。」

 

と言っていたことを覚えています。なんとなく重なる。

 

義母の家に行くと、それこそ筮竹、サイコロ、ものすごい古い文献、顔の模型(顔の相を見るらしい)、8面体の鏡、陰陽模様なんかがあちこちにあって、自然掃除をしながら見てしまう。

 

人間面白いもので、環境がそうだと、自然と吸収し、興味がわいてくる。でも、いったん家を離れると、そうでもない。おそらく時代が、多くの場所が、占いに興味がなく、もっと実践的で即物的で確実に稼ぐ手立てを求めているからだろうな、と思う。

 

そんな義母の家で、手相に興味を持った。ゆくゆくは家業である易に少しは明るくなりたいけれど、手始めに手相。

 

アプリでも、手相を撮影してみるものがあるらしい。でも、実際は厚みとか、つやとか、色とか、そういった健康観察的なものも含まれるそうで。というか、これは占いというより、どちらかというと東洋医学と親和性が高いのではないかしら、と思い始めています。

 

手相は変わるとよくいう。それは物の持ち方とか、どう日常手を使っているかにもよるのでしょうが、健康状態でも出てくる細かい皺がありそう。私は乾燥肌なので、体調が悪くなったり、手入れをおこたると、なんか手が細かい線だらけになります。手首のしわも観察の一つだそうで、手首の肉付き、ひては皮下脂肪の量とかつき方も関係してくる。

 

なかなか変わらなそうな線もあるし、結構変わる線もある。ためしに娘の手を見てみると、面白いことに私と全然違うのです。へえ~!?

 

さて、ゆくゆくは明るくなってみたい易。易は英語名がThe Book of Changeといい(あるいは中国読みなのかI Chingとも)、その人の運勢は変化するという立場をとっています…改めて書くと、あまりにイントロな内容なので、恥ずかしいんですが。

 

季節のように変わっていく。最上のあとは、転落してゆく。その時々君子(偉い人、立派な人)がとるべき行動が書いてあって、それはいわゆる目先の利益のためのことではなく、哲学的であったり、立派なことであったり。帝王学とも結びつきやすいらしい。内容には孔子も深く絡んでおり、占わず、内容だけを見ていてもかなり面白い。

 

実は私は父系がキリスト教で、そのせいもあってか、興味はあれど、どうも根本で占いと相反する。人は良心に従い場合によっては困難な道こそ行くべきで、自分の損得を考えてはいけないというのが恐らく根っこにあるからなのでしょう。まあ、そもそも全然これに従えていない人生なわけですが。^^;

 

だけども、易では君子の選択すべき道が書いてあり、君子らしい選択をすれば、おのずと機が来れば道が開けることになっているようで、あるいは君子らしからぬ行いをすれば、事態がよけい悪化することになっているようで。

 

変化するというのは面白い発想だなと思うのです。そして、最上や最悪ではなく、中庸を重んじるのも、非常に知恵だなと思う。若かりし頃は何者かになりたくて、極端に極端を重ねたけれど。今になって思うに、バランスこそ、大事だなあと思う。

 

例えば、モノづくりで食って生きたく、それだけに拘泥して、数年にっちもさっちも行かない時期があった。今思えば、一人誰とも会わず、引きこもりでやるべきではなくて、友人とまあまあつながっていて、自然モノづくりの話をしたり、モノづくりの環境とアクセスをしていて、楽に作れる場所に身を置いていて、さらにそれだけに固執するのではなく、日々の生業も面倒くせえなあ、いやだなあと思いながらも汗を流しつつ。

 

さて、表題は手相について調べていたら、出てきた言葉。‥なるほどなあ。フルタイム勤務をしていたころ、現在は元気な娘も、チックが出て、社会性の成長が止まったかのような時期がありました。旦那な入院するし、祖父母は体壊すし。それでも仕事を続けたいのなら、がんばるよと実父は言ってくれはしたのですが、私がつらく、仕事をやめた。

 

もちろんダブルインカムがシングルインカムになるので、家計はつらい。それが原因で喧嘩になることもある。娘はチックがすぐに治まり、新しい幼稚園で、本当に愛されて、優しい賢い、身内が言うのもなんなのですが、素晴らしい素晴らしい子供に育っています(本人の努力でね。母はただいるだけ)。フルタイムの時はまともに家族に食事を作れなかったけれど、今は作ってあげられる。たまには上げ膳据え膳体験したいけどね^^;

 

祖父母の体も加齢で弱っていく一方ではあるけれど、私が最後の一撃を加えている、とは思わなくなった。外で、言うなれば家族をほっぽりだして、ただただ働く人生ではなく、義両親の手伝いもできるようになった。ただ、金はない。

 

表題の言葉はなるほどなあと思う。実両親はバリキャリで、私は一人っ子だったため、結構さみしく育った自覚があります。途中、摂食障害もありました。引きこもりになりかけたこともあった。専業主婦のお母さんに育てられた方の多くは、お母さんがただいることにどれだけ効能があるか、自覚しにくいと思うけれど。母が子供を残して綺麗な服で、「いってきます」を繰り返す感じは、暗い玄関にぽつんと残される感じは、母はスポットライトを浴び、私の分の光も奪って行く、という…。

 

ただし実母は、非常に貧乏をした経験があります。お金は大事だよと、お金であきらめる何かがあってはいけないと、そういう意識も高かったように思う。おかげでお金には苦労しない半生でした。

 

ある時、ある老人施設で、介護職員さんが小学校から帰ってきた娘と手を引いて帰っていく様を見ました。バリキャリの両親です。私も地味に、野心があれば、きっと、もしかしたらその後を追ったかもしれない。だけど私が夢見たのは、「子供が学校から帰ってきたときに、お帰り~と言って、一緒に手を引いて帰りたいなあ」。

 

私自身がフルタイムでバリバリやっていた頃、家族はなく、土日はすごく寂しかった。家族ができたら、今度は家族と過ごす時間がほしくなった。家族とすごす時間を持ったら、それだけお金がきつくなった。フルタイムのころ、家族中が体と心を壊した。現在は、まあまあ大病せずに暮らしている。表題の言葉は単純な言葉ですが、真理だなあと思ったりする。

 

というわけで、常々人や人の運勢はうつろい、いい時も悪い時もあり、そして中庸、バランスがいい状態が一番いいんだという易や東洋思想に、私は最近ちょっとアクセスしています。