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やわらかい ぱん

いつか絵本にまとめたいブログ

漫画 「ピースケの恋」

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絵は追々がんばって上達させてゆくとして、いったい何を描きたいのか。大量の物語があり、パロディがあり、カリカチュアがあり、そして「大きな物語がない」と言われて久しい時代に生きていると、何だか超新しくて難しいことをテーマにできないと、物語を紡ぐ価値がないのではと思ってしまう。が、案外バカバカしいところで発想していいんじゃないかなと年くって思うようになってきました。

 

…まあでも、ぼちぼち大きな物語、社会にありそうですけどね。政治だ、原発だ、世界情勢だ。明示的に書かないにせよ、みんなが共通でもっている危機感はありそう。日常が急にモンスターに襲われて壊れてゆくって着想は、この辺りの共通で持っている感覚に根ざしているのでは、と思ったりもします。気のせいか、そういう漫画最近目につきませんか。ヒット漫画で。

 

それはそれとして。先日BLの夢を見て、それからわーっとBLのSS(短い物語)を読んで思った。うーん、何だろう、何か自分の求めているのと微妙~~に違う。多分観念的な恋ではなくって、もっと肉感的で、肉弾戦で、下世話なストーリーがいいんだろうなあと…。

 

Gペンの入り抜き(太さの強弱)のあるぶっとい線が自分は好きですが、最近は細かく細くペンを走らせるのが主流だそうです。

 

最後のページの最後で、笑えないほど下手くそな少女マンガの真似事をしていますが、これ、モニタだと分からないと思うんですが、線を重ねています。うんうん、描きながら、これは透明感出る描き方だわ、描いていて気持ちが入って気持ちいいわ、と思った。

 

これ、あまりに気持ちよかったので、もしかしたら自分もいずれそっちに向かって行くのかも知れません。でも、描いてみて思うのは、入り抜きの線より、仕上がりの距離が遠くなるんですよね。肉弾戦の近さではなく、観念的な遠さを感じる質感になるのを知りました。

 

入り抜きの線の方が、下世話な線じゃないですか?俗っぽくて、いやらしくて。この線、描く時はかなり力が要るし、失敗も多いのですが、見るとやっぱり嫌いじゃないなあ…。

 

さて、今日何の因果か、出先でたまたま「萩尾望都 SF原画展」をやっていました。もちろん見てきました。娘を旦那に任せて。

 

びっくりしたよ。びっくりしたんだ。年を追うごとに書き込みが細かくなっている。レース細工も真っ青の流麗で美麗な原稿でした。心が折れるかと思った。

 

ただ、年を追うごとにと言うのが、多分最近はPCの処理や写真の背景が普通になり始めて、それだけの情報量がコマに入っているのが普通になりつつあるんだなあと。萩尾先生もそれを受けて、情報量を上げているのかもなあ等と想像しました。

 

懐かしい画材もありました。カラートーンとか。漫画家を目指す友人が使っていたなあとくすぐったい気持ちに。今だったらPCでさくっと処理できますが、昔はセロファンのような色つきのトーンで色面処理をしたりしたよなあ…。

 

また、大きな一面の見せ場の絵を見ながら、風景と人物が幻想的に溶け合っている数々の絵を見ながら、ああ、こういう構図のこういう絵、美術の時間に描く人いたなあと思っていました。

 

思春期の頃、自分はまったくといっていいほど少女マンガを読まなかったけれど、それでも少女マンガの手法を、系譜を、世代的にしっかり受け継いでいたんだなあと。その頃、少女マンガに全く理解や耐性のない男性主体のアカデミックな土俵でそれを描き、随分酷評され、自分で否定をして蓋をしてしまったけれど、あのまま少女マンガの系譜を肯定して進んでいたら、どこにいたかなあと、残念に思います。

 

それでもやっぱり少女マンガを受け継いでいるんだって、思いたいですけどね。今も。

 

…ところで、効果線ってどうやって引くんだろうね…。