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やわらかい ぱん

いつか絵本にまとめたいブログ

漫画 「にょろりのピクニック」 読み切り

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定規がほしい(笑)。

 

分かったんですよ。色々な物語の描き方がありますが、設定(場所とかキャラクターとか)が固定の漫画を描く場合、イベントをまず考える。

 

でもそれはあくまで起承転結でいう前半部分なんですよね。さて、それから物語をちゃんと動かすには、事件が必要らしいということがわかった。

 

設定、イベント、事件…。

 

うーん、じゃあ、カズヤ君で事件行こうか。

 

事件起こしてみました。でも起こりっぱなしじゃ困るので、どうにかして解決しないといけない。というわけで、シリンジでお腹のシェイクを抜き取ってみました(見返したら絵、失敗してます。すごいわかりづらい…)。

 

設定、イベント、事件、落ち。

 

なるほど、これが単純な物語の作り方なんだなあと学びました。物語が設定自体を壊していく手法もあると思うのですが。サザエさん的な物語は、設定は動かされないので、その中でイベントを敷き、事件を投入し、落ちを考える、という段どりでできるんだなあと。

 

物語が設定を壊していくというのは、物語の必然によって、主要キャラクターの設定が変化していくという。シンプルな例では、スポーツ成長ものなんでしょうか…。

 

最終兵器彼女』とかのSFもそうなのかなあ。余談ですが、主人公の(微)成長のために、ヒロインと環境が劇的に変化するというのは、マッチョだなあと思うんですよね…。一見繊細な物語でも。『アイアムアヒーロー』も…。面白いとは思う。だけど、女性である自分が描く物語は別にあると思う。

 

主人公が変化する場合、物語は終わりがある。ある成長の終了が物語の終わりになるのかなあ。主人公が成長(設定が変化)しない場合、物語はシリーズでなんぼでも量産できる気がします。シリーズを終わらせる時、主人公は実は終わらせるために、それまでと違い、何らかの変化をしていると思う。

 

ところでGペン楽しいっすね~~~~~っ。思春期、つけペンがすごく苦手だったのですが、原因が分かった。入りと抜きという、どうしても細さと太さが均一にならない線のせいです。普段使うボールペンやミリペンは太さが均一。それに慣れていたため、どうにもこの消しゴムのカスのような線が扱えなかったんです。

 

でも、入りと抜きという、きちんと太さの強弱を示す言葉があることを知り、「最近の作家にしては珍しく入り抜きがはっきりしている線」という評価のしかたを知って、そういえば私が子供の頃親しんだマンガ家さんは、この入り抜きがはっきりした線だったと思い、懐かしさから、古臭いんでしょうが、入り抜きを楽しみながらペン入れをしてみたら、楽しい楽しい。

 

幼児体験なのでしょうが、私はこの入り抜きがはっきりした絵が、温度がある感じがしてとても好きです。昔の高橋留美子さんの絵とか。先日今の高橋留美子さんの絵を確認したところ、思ったよりも線が細くて驚いた。『うる星やつら』の時代なんか、もっとこってりしていた気がします。気のせいかな…。

 

コマの割り方も奥深いです。元々は4コマで、均等な割り方だったのが、均等のままコマ数が増えていったみたいです。歴史的に。要するに起承転結から、フィルム的になったんでしょうね。さらにそのコマ間の空白の太さの違いによって、読ませる方向を制御したりみたいです。手塚治虫氏が(BSマンガ夜話の『メトロポリス』の回によると)。

 

高橋留美子さんの『境界のRINNE』1巻を最近娘と買ってみたのですが、驚いたことに割り方が『うる星やつら』の頃から本当に変わっていなかった。右端に場所を示すコマ(学校とか)、人物の3段ぶち抜き、コマの大きさとか。

 

これっていうのは、それぞれの漫画家さんの流儀があるんだろうなあと。伝統的少女マンガのコマ割りはかなり自由度が高いようです。少女はコマに四角四面に縛られたくないのよきっと。