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やわらかい ぱん

いつか絵本にまとめたいブログ

冒険遊び場で木切れのペンギンを作った

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今日は「冒険遊び場」という、地区の有志がやっている、子供の遊び場に行ってきた。

 

木工のコーナーで、ペンギンの人形を作った。

 

ノコギリや釘がある中、不器用で折れやすい長子らしい性格のくせに、「自分で全部思い通りやりたい」娘。結局自分で扱えるのは、ボンドくらいのものだった。

 

娘が早々に自分には難しいとその場を走り去ったあと、もくもくと一人、ペンギンを仕上げた。

 

釘を打つのは楽しい。どうして伝統的に男性のしてきた仕事ができると、自己肯定感がふつふつと湧いて来るのだろう。

 

憧れなのだろうか。だとしたら、随分封建的なヒエラルキーが自分の中に内在化されているんだなあと思う。世代的なものなのだろうか。

 

友達を作るコツは、「飽きたな」と思ってから、粘ってしばらくその場にいることだ。

 

何だか、一通りやることをやって、その場にいるとなると、所在無げになる。だけどその場にぼーっといても、誰もうっとうしがらないようだ。

 

娘はあまり子供同士で遊ばないと指摘されている。もしかしたら発達障害のボーダーを疑われている節もある。

 

毎日、娘と暮らしながら、これは健常の路線に乗るか、あるいは乗らないかを、地味に一喜一憂する。私は障害児支援をずっと生業にしてきたくせに、こと自分の子供に関して、受け止めきれていない。また、凸があるのか凹があるのか、何がどう他の子と違うのか、評価できていない。

 

娘と仲良くしようとやってくる子はいる。

 

今日も、気のいい少年が娘を可愛い妹のように感じたか、自分の大事な宝物をくれ、娘と遊んでくれた。

 

少年が自分のカバンをあけ、そこに持っていた大事なお気に入りの玩具をくれた。この大事さ、有難さを、娘はどこまでわかっているんだろう…。

 

「そっちも頂戴」とぬかす娘に、そこはぜひ、強く暖かさを感じ、特別な体験と受け止めていて欲しいと願う。

 

年齢的にはまだ難しいのだろうか。あるいは特性的に難しいのだろうか。

 

年齢的に、であって欲しいと思う自分がいる。

 

寝てしまった娘を自転車で運びながら、夕暮れにライトをつけて漕ぐ。漕ぎながら、仕事と家庭と、子供の付き合い方の違いを考える。

 

仕事は、子供がクライアントだ。その微細な反応も見逃さず、応えてやるのが仕事だ。イメージでいえば、子供と私は向き合っている。

 

だけれど、私はわが子に応えることも、仕事と同じ感覚でやっていなかったか。

 

家族である子を育てるということは、親子で向き合うのではなく、親子で同じ方を向くことかもしれない、と最近考える。一緒にこの難局の社会を旅していくことかもしれない。

 

旅の中で、自然と、人と分け合って、助け合うことを覚えるのではないか。家族で助け合う必要から、身の回りのこと、社会との付き合い方を、時には負の体験をしつつも、内在化させていくのではないか。

 

親はただ、一緒に生きて行けばいいのかも知れない。そう考えるようになったのは、単に娘が少し大きくなって、乳幼児から、児童になりはじめているから、そういうフェーズになったからかも知れない。

 


ペンギン師匠が仲間入りしました。娘との付き合いも、このペンギンのように、雑な作りでいいのかも知れないと思う。

 

bouken-asobiba.org