やわらかい ぱん

マジカルバナナ、バナナといったら黄色。教室の彼らももう成人。

山形旅行の思いがけない土産。旦那と娘がどうぶつ将棋にはまる

先日、山形県天童市に行ってきました。宿泊した温泉旅館には、大きな将棋の駒と将棋盤があり、お客さんが自由に将棋が打てるようになっていました。

 

「なにこれ」

と興味津々。たまたま将棋のルールを知っていた旦那と、湯上りに初将棋を打ちました。すると、腕に覚えアリの雰囲気のおじさんがにやにややってきて、のぞき込むなり、

「お嬢ちゃん、こっちに動かせばこのコマをもらえるよ。あ~でも、お父さんのほうが有利かな~」

と、何なら娘の代わりに打つ勢いで参入。いきなり男性2人の真剣対戦になりかけ、天童ならではなのかしらと、いい思い出になりました。対戦、結局どうなったんだっけ。

 

娘はそれが面白かったらしく、帰宅後、紙をちぎってお手製の将棋を作り始めました。といってもマスは2行しかなく、いきなり王手状態からはじまり、先手が必ず勝てるという、ゲーム的に欠陥ばりばりのもの。

 

しかも彼女は自分が勝つために並々ならぬえこ贔屓をするので、彼女のコマは10個ほどあり、相手のコマは「王」のみ。すごい。こんなアウェイな試合ってあるかしら。

 

やる気にならねえと逃げまくっていたのですが、娘が泣く勢いで試合を懇願するので、どうぶつ将棋のアプリを落としました。旦那漢の120円課金。

 

父娘がどうぶつ将棋アプリにどハマり。延々並んでやっています。恐らく旦那が手加減したのでしょうが、娘が父との対戦で勝ったそうで、そりゃもう鼻血を噴き上げんばかりの興奮ぶりです。これで負けていたら、鼻水だらけで興奮するのですが。

 

一方私がアプリをしようとすると、娘が馬乗りになって、泣いてすがって止めるのです。

「だってお母さんは弱いから。負けたら悔しいでしょ。他の人のを見て、私のお手本を見て、練習してからがいいよ。」

「…いや、そんなに悔しくないよ。」

「え、悔しくないの?」

何か、母の精神を守ってくれたようで。

昔のファイル、その頃の自分と生徒

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新年度のお仕事の準備をしています。私は、稼いで、家族でディズニーリゾートに行くんだァァ。

 

この仕事を始めた時、美大上がりの私は、教材を自作することに生きがいを求めておりました。プリントの挿絵とか。あるいはハンバーガー屋さんごっこのハンバーガーを数種類ぬいぐるみで作ったり。

 

今は子供の実態が多岐にわたり、何の縁か、考えてみれば自分がそっちをすすんで選んでいたりもしますが、情緒や知的、学習障害発達障害のあるお子さん、不登校ぎみのお子さんと仕事をすることが多く、各グループ、各子供に対して手探りの手作りになっています。好きで選んだとはいえ、これだとたくさんの数は仕事できないので、充実貧乏でございます。

 

ともかく教材準備の時間が多分今までの比ではない状態です。教材準備時間は無給なので、時給換算すると脱腸しそうですが、しないことにしています。もはや趣味です。恋です。(四六時中という点で)

 

産休育休をまたいではいますが、足掛け7、8年目のこの仕事。きっと今後教材を作りためておけば、いずれ使いまわしが利いて、楽になるはずと思っていました。が、案外使いまわせない(苦笑)。

 

きっと学習指導要領に準じた勉強をしているお子さんを見ていれば、教材を流用は全然可能なのですが、気付けばそうしたお子さんとはあまり縁がありません。初年度と2年目だけだったかもなあ。

 

何か使えるものはないか、と昔のデータやファイルを紐解いていて、写真の紙を見つけました。

 

写真は初年度に、家庭学習の方法を事細かに書いてくださいと依頼されて、作ったもののようです。自分でもぶっこんでいるなと驚いてしまい、初心忘れるべからずと自分に言うために、掲載しました。

 

書いてある内容には「い、異存はございません」状態ですが、これについていけるお子さんだったんだな…。やっぱすごかったんだな…。

 

これを渡した生徒は、とある障害でやむなく仕事先に来ていた子だったので、「悔しい思いをさせてはいけない。君がここに来たのは、都落ちじゃないよ。何なら少人数で教えられるから、普通の学校で学ぶ以上の学力がつくと気づかせてあげる」と、気合いも入っていたのでした。

 

というのも、私の叔父はネフローゼで、非常に優秀だったのですが、根を詰めることができず、なかなか学校に通学することも叶わない人でした。意欲も高く、頭脳もずば抜けて良いのに、体だけが言うことをきかず、自分の人生がどうしてもままならないというのは…。初年度の当時、こうした子をここで教えることが、自分の天命かもなあと思い、猛烈にぶっこんでいたようです。

 

学習指導要領の内容を別に足並み揃えてやる必要はないのだから、進めるなら学年以上の内容にも手を出して、余った時間は大学の内容も持ち出して、興味があるなら大学に聴講に行けばいい。ショートカットでやっちまおうぜ、と。

 

当時のデータを開いてみると、教科書の単元ごとに小テストをしていたようです。今の仕事とはずいぶん違います。それでどんどんやれるお子さんだったんだなあ。

 

今その頃のおびただしい数の小テストのデータを見ると、

「すっげえ仕事していたんだな、私…」

と引きます。が、いやいや、教えたら入り、意欲も高く、カンもよく、家庭学習も行き届いていて、宿題もしっかりやってくる。こちらからすれば、教科書から「ここ重要」というのを何も考えずに抜き出してテストするだけなので、かえって今より楽だったのかもな、とも。

 

このお子さんが勉強に非常に熱心で、決していい加減になったり、気乗りしないとさぼったり、なまけないのには背景がありまして、限られた命である可能性が高い子でした。

 

進行性で、今までできていた事、自信を持っていたこと、改めて努力して獲得したことも、徐々に困難になることを知っており、知識と思考だけは最後まで奪われないからと、こちらもその子とシンクロして、いつも火のついた車輪に追い立てられている気持ちで、教えていたのを思い出します。

 

通常子供に教えているときは、「将来のために」と教える気がします。

 

しかし上記のお子さん、また同じ障害のあったお子さんに関しては、はじめて、「今」のために教えているという感覚でした。今のその子の心のために。

 

現在は一転して、色々な要因があるのでしょうが、「何のために学ぶのか」を手放してしまい、昼夜逆転し、ゲームに現実世界よりも居場所を見出しているお子さんや、発達の凸凹で(大人からするとすごくチャーミングなんですが)同年代の子とぶつかりやすいお子さんや。概してみんな英語が嫌いで^^; 昔写真のようなことをやっていたなんて、すっかり忘れていました。

 

今は段ボールや風船、ハッピーセットの玩具を集めたり、相対性理論の話にお付き合いしたり、youtuberやゲームやアニメの話にお付き合いしたり。

 

「いつか子供の足場が整い、子供がやる気になるまで待つ」というのが、現在の仕事です。結局ゲームや雑談で終わり、学習にならなかったという事も。

 

両極ですね…

 

つうか今日、寒すぎませんか。

オマージュだったのかな

栗原類さんの本『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』。

 

購入して、…場所が大変申し訳ないのですが、そこは私の大事なパーソナルスペースでもありまして、我が家のトイレに蔵書されています。…トイレって書く理由あるか?って言われそうですね…。

 

トイレにあると、定期的に読めるのです。定期的に手にとって、ぱらぱらと読んでいます。一気に、飛び飛びだったかも知れませんが、読み切って、それから自分へのリマインダーの役目を担ってもらって、少しずつ読んでいます。しまい込んでしまうと、とたんにそれっきり読まなくなってしまうのです…。

 

先ほども、「そういえばそうだった」と再び思い出しました。1つのことにまい進しすぎると、健常者でも、それが折れたときに取り返しがつかない。むしろ、色々な経験を広く浅くを心がけることが大切かも知れない。その1つ1つが人と繋がる糸口になるかも知れないから。…など。

 

今、東田直樹さんのNHKのドキュメンタリーを見始めました。2年ぶりのドキュメンタリーだそうです。録画していたのを、なかなか見られず。そこで全てのきっかけになった著書が紹介されました。『自閉症の僕が飛びはねる理由』。

 

正直いうと、栗原類さんの著書のタイトルに小さなものですが、違和感があったんです。発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』。

何か気のせいか、少し冗長ではないか?と。

 

この丁寧さは栗原さんらしさなのかな、と勝手に思っていました。

 

もしかしたら、東田さんのこの有名な著作へのオマージュだったのかな…と今ようやく気付きました。自閉症の僕が飛びはねる理由』。

 

そういえば東田さんの著作は翻訳され、海外で非常に評価が高いとか。栗原さんも、翻訳版か、原書(日本語)版か、ご存じだったのかも知れないな、とか。

 

すべては想像ですが。

 

爽快で気持ちのよいタイトルですよね。キラキラとした青空を彷彿とする、どちらも。

子供と部屋を別にする日

私は7歳になるころに1人部屋をもらいました。丁度そのころ引っ越し、部屋数に余裕ができたのです。日中はあれこれレイアウトを考えて、うきうきしていたものの、夜は不安でした。

 

結局その晩は何とか一人で寝たものの、ほどなくして夜は両親のベッドにもぐりこむようになり、結局思春期になるまで、家族並んで寝ていた気がします。いつも母のベッドにもぐりこんでいたので、母はよくベッド半分で耐えたなあ…と今思うと驚愕です。

 

さて、最近娘と喧嘩することが増えてきました。春休みでどうも退屈なんでしょう。5歳を過ぎるとまあ親もたじたじの喧嘩を仕掛けてくるので、何か毎日ストレスです。さらに部屋はいつも取っ散らかり。

 

私は新規の仕事が一件決まり、前任者が非常にしっかりした人のようで、ちょっと気合いを入れないと勤まらないぞと戦々恐々としています。さらに継続の仕事、資格試験。その切迫した気配を察してか、自分に100パーセントは向いていないと察してか、はたまた幼稚園が休みの不完全燃焼か、娘との喧嘩も増えた気がします。

 

「もう遅いから寝よう」という指図すらムカつく彼女。風呂に入れるのも、歯磨きも、いつも彼女のペース。私は何もできやしません。娘は春休み中どんどん就寝時間が遅くなっているので、無理やりにでも布団に入れ、電気を消します。すると怒る。

 

日中彼女のペースでまともに集中することは必ず、寝るまえに切れられ、わざとらしくため息をつかれ、disられる。もう限界だと布団を引きずって、隣の部屋へ。

 

はじめ娘は泣いたものの、「私はここで寝るから、1人で寝てごらん」と優しめに言うと、「そこで寝るなら、いっか」と拍子抜けなほどあっさり踵を返し、そのまま部屋でこてっと寝てしまいました。むしろ私が眠れない。ああ、いろいろ発達して、成長して、自立しかかっているんだなあ。ちょっと寂しいなあ。でも、いい事なんだよなあ。

 

という訳で、今朝は朝から部屋の模様替え。今まで一緒に寝ていた部屋を娘スペースにし、娘の玩具が山積していたリビングに、生活臭…ですが、私のコート類と布団を移動。思ったよりも早くこの日が来てしまい、今後どうしよう…です。

 

娘は模様替えにウキウキの様子。この野郎…と追い出された感の否めない私は苦虫ですが、それにしても娘の精神的自立は喜ばしい気もし、私のそれよりずいぶん早いことに、それぞれの個性だなあ…としみじみしています。まだ予断は許しませんが。

 

これまであらゆるスペースは娘中心でした。私の仕事道具や筆記用具は、あちこちの棚の上にカバンのまま、広げることもできずに置かれるだけ。部屋を分けたことで、少しは毎日自分のペースで過ごせそうです。部屋からカラフルな娘の玩具が消えたことは、寂しくはあるけれど、ほっとしている自分もいて、「散らかっているから、片づけて」は半分以上躾けではなく、精神的にきつかったんだな、あの物と色の洪水が…と気づかされます。

 

…まあ、そうはいってもそんなに上手く運べるはずもなく。でも、いつか自分の机を復活させて、集中して勉強なり仕事の準備ができるようになりたい。

 

正規職を辞したとき、娘はまだ3歳。繊細なたちだと言われ、保育園でどうも馴染めず、チックが出ていました。やがて6歳になる娘は、気が強く、自信家で、勝気です。今少し距離をおくことは、当時とくらべ、良心の痛むことではなくなってきています。

 

それでも、私が仕事の面接に行くと、少し寂しそうな娘。でもね、将来経済的に一家そろって詰むより、今から少しずつだけど、仕事をしなきゃいけない時代。

 

それだけでなく、子供に尽くすことに全身全霊で注力できる人間のできたお母さんには、私はどうもなり切れないらしく、子供に自立の芽が出たときは、「どうぞどうぞ」と距離を置けるようであるべきだろうなあという、予感めいたものもあります。そうでないと、寂しさから、丁度いいタイミングを逸し、変にべったりになってしまう予感が自分でします。それは愛情深そうに見えて、子供を消費していることかも知れません。…我が子は勝気すぎて、気前よく消費されてくれないんですが。

 

というわけで、わりとすっきりした部屋。今日眠るのが楽しみです。何なら今からでも…。

美術の勉強は何に効いた?

山形に友人に会いに行ってきました。新幹線で約3時間。心のふるさとが一つ増えました。どこに行くかじゃない。そこで誰と過ごすかだな~とつくづく思います。思い出深い旅には、そこにいつも人がいる気がします。

 

でも同じ日本とはいえ、ほんのりと、あるいは結構はっきりと違う部分があって、勉強になりました。私の現在住む地域は決して都会ではないのですが、そうはいっても余剰な土地はなく、新しい何かが生まれる余白がないように思います。広大な土地というのは、一種カンバスの白い部分のように、人の独創性を許すものなのかもなと感じさせられました。

 

友人に連れて行ってもらった乗馬の施設は、おじさんおばさんが趣味でやっている所だとか。趣味で10頭もの馬を大事に飼えるって、発想できないじゃないですか。せせこましい地域に暮らしていると。趣味で馬飼うて。チワワじゃないんですよ。

 

さらには家の前に沢山電飾や石造のキャラクターを置き(自腹)、近所の人から「ディズニーランド」と言われているお宅。私の住む地域でこれをやっても、よほど小さい子しか目にとめない気がする。目に留まらないと、独創性は育たない気がする。なんかいいな…と思ってしまいました。

 

でも大変なことも多いのでしょう。一緒に回ってくれた友人のお嬢さんたちが、雪を見ては辟易していた様子を見ると、雪は本当に重たく厄介なものなんだろうなと。一年の多く雪があり、不便なものの象徴なのかも知れないなあと。

 

一方雪に憧れのある娘は、雪を見ては「遊びたい、遊びたい」と立ち止まる始末。お嬢さんたちに「雪の何がそんなに嬉しいんだろう」と謎がられていました。

 

旅では銀山温泉も案内してもらいました。素敵だった…。娘はそこのお土産屋さんで、なぜか普通の猫のぬいぐるみを買い、今も大事に一緒に寝ています。楽しかったね~~と断るごとに言っています。また行きたいねえ。今度は季節を変えて、例えば初夏の山形なんて素敵だろうなあ。

 

初めて勤めた会社の直属の上司が山形出身で、気のせいじゃないと思うのですが…そこはかとなく上司に似たお顔立ちの方がいたり、「通りを歩けば沢山麩の看板がある」という上司の描写そのものの道があったり。

 

心のふるさとが一つ増えました。山形いいなあ。

 

さて、山形を案内してくれた友人は、美大時代の友人です。絵を教えてくれないかと声をかけられることもあるとか。いいなあ。私の住む地域は飽和状態で、仕事になりゃしません。でもその代わり、賞を取れる絵を教えて欲しいと言われるそうです。なるほど。

 

絵画の先生に何が必要か、それは賞を取れる絵を教えること。画壇にいること。何となくハイカルチャーにアクセスできるというブランドを売れること、というのをネットで見て、ハア…とため息をついたことがあります。

 

今日FBに同じ大学の後輩がポストしていたのですが、図工に評価はいらないのではないかと。私も大賛成です。道徳と同じくね。…道徳って評価対象になるらしいが…。

 

こうして、かつて一緒に美術を学んだ友人達が、「評価はいらない」「その子の描くものを100パーセント受け止め、肯定することが大切だ」と意見を同じくするのは、頼もしく感じます。

 

美大を出て、就職氷河期で仕事がなく、会社を転々として辿りついたものを教える仕事。英語(仕事で使っていた)と美術(小さい頃から好きで、岩にかじりついて美大に行った)のどちらを教えるか悩んだ時期がありました。

 

美術は仕事の口がかなり少ないという情報もあり、英語は仕事で使っているものの、自己流。一度きちんと大学で学んで、自信が欲しいというのもありました。しかし美術を選ばなかった一番の理由は、

「美術で行くところまで行って、私は食えなかったじゃないか。そんな子を再生産できないよ。」

という、ねじ曲がった悲しい理由でした。

 

美大の友人達が、どんな絵でもいい、下手でも技巧的でも、それを100パーセント肯定することが美術教育じゃないか‥?という境地にいることは、食える食えないではなく、きっと美術は心を育てたんだろうな…?と思います。

 

久しぶりに絵を描きたい春です。お絵かき帳をもって、娘と公園にでも行こうかな。