5000円越えから0円セルフカットまで。髪の毛切ってみた

最近ごく平均的な感じの美容院で髪を切っていません。そういえば様々な価格帯で髪の毛を切って来たなあと思い、まとめてみました。ちなみに全部、ショートカットです。

 

5000円強カット

6000円はしなかったような記憶があるのですが。切ってくれていたのは、とあるタレントさんのヘア担当もすることになった、海外で手腕を磨いた美容師さん。知識も豊富で、カットの腕もすごく、いつも自分で慣れている髪型以外を提案してくれ、それがきちんと素敵になる。何なら、自分が「多分こんな感じが一番似合うんだろうなあ」ループに入っているものよりも、ずいぶんよく仕上がる。

 

この当時の写真は、自分で見ても「お、いけてる」と思うことが多いですよ。正直、お金を支払うのであれば、このくらいの事をされたいなあ…と思う。途中で違うお客さん担当になったりするので、カット1つで半日がかりな印象。その間にお茶とか茶菓子とか出て来た記憶がある。

 

お値段以上。まあ、ちゃんと切ってもらおうと思ったら、このくらいのお値段が、自分の求めるものなんだな~と学びました。

 

現在はとにかく時間がもったいなく、通っていません。たぶん美容師さんはより出世して、お店を離れているとか、お値段跳ね上がっていそう。

 

ちなみに、いつもオーダーであまり変化のないヘアスタイルばかりさせられていて、フラストレーションが溜まっていたらしく、思春期の頃ツーブロックにしたことがあると話したら、もみあげなしのテクノカット(?)や、前髪がスタートレックのスポックみたいなヘアスタイルにされた事もある。私は気に入っていたが、家族からは「攻めすぎ…」と言われた。

 

4000円強カット

子供が生まれるまで、何となく通っていた価格帯。たぶん美容院にしてみたら、平均的~リーズナブルな価格帯?自分が頼んだ髪型を、きれいに仕上げてくれる。襟足の癖とか、髪の多さとか、色んな癖をディスらずにきちんと対応してくれる。新しい髪型を提案されることは特にない。まあ、妥当で、安心な印象。

 

時々他のお客さんの担当になったりして、待ち時間多し。さらに混んでいることが多い(私は基本美容院を予約しようという頭がありません)。場合によっては予約なしでは髪が切れなかったり、数時間待ちになることも。さらに予約していても、1時間半以上スタートがずれたこともある。切り始めて終るまで、2時間半以上は見ておいた方がよい。正直今の生活には、時間がもったいなく、ふらっと行ってさくっと切れないので、通っておらず。

 

3000円代カット

以前住んでいた自宅の近くに合った、個人経営の美容院。お姉さん一人でやっていた。価格をよく覚えていないのだけど、安いなと思ったので、多分これくらい。完全予約制。予約なしでは入れない。その代り完全に美容院に一人だけで切ってもらえるので、子供が赤子のころ、家族で行き、旦那と子供に待ってもらっていた(最悪泣きだしても、他のお客さんがいないので)。

 

時間は確かきっちり1時間。出来は丁寧だけれど、満足度は真ん中やや下という感じ。あまりレパートリーがある印象ではない。まあでも、決しておかしな頭にはならない。

 

現在家が遠くなったので、通っておらず。

 

3000円代カットその2

家の近くの古い美容院。予約要らず、アクセスがよく、開店している時間帯が長いので、時々通ってみた。うーーーーん、技術で物申すより、口で物申す感じ。やたらとあれこれ髪をディスられる。襟足の癖、髪の多さ、癖などなど。そして付加してお金を払ってもらいたいらしく、露骨に薬剤購入を勧められる。仕上がりは、全く4000円代の通っていた美容院に及ばない。カット時間は1時間程度で済む。

 

困ったときは通うけれど、正直いい気分にならないので、できるだけ避けたい感じ。何でしょう、人の髪をディスるのが、弱点を指摘するのが、プロの仕事だと思っているのかな。たまにそういう美容師さん、いますが…。

 

1500円強カット

家の近くにできたので、行ってみた。完全オートメーション化。券売機で先払い。カット20分くらい。さっさと自販機感覚でカットができるので、2度ほど通ってみた。一度目は当たりの美容師さんで、正直3000円代カットとそん色なし(それ以上に気に入ったかも)。早く済む、面倒な営業トークがないので、え~~~ここが私の美容室なんじゃないか?と興奮。

 

しかし2回目行ったところ、多分平均的な美容師さんで、平均的なサービスなんだろうが、うんとね、襟足の長いワカメちゃんみたいになった。お釜をかぶっているような。まじか~。しかしシャギー入れてください、というのは値段に対してはばかられ、帰宅。

 

予約なし、早い、安い、当たると大当たりというメリットはあるのだけど、博打要素多い。今後通うか検討中。

 

ちなみに、髪を切った後って何か違和感があったりする事がありますが、1週間やそこらで、何となく顔が馴染んでくることが多い。が、1500円カット以下からは、時間が経とうが経つまいが、決して馴染むことは…。

 

1000円カット

昔、職場で1000円カットで切ってもらった人がいて、その人が可愛いからというのがあるのだけど、何だ普通じゃないかという印象があった。なので行ってみた。

 

早い、安い、予約要らず。券売機で前金制。カット時間の目安は10分らしい。…う、うん、仕上がりは見事にお釜をかぶったとっさん坊やになった。

 

切り終わってみたら変、どうにか修正せにゃ、という部分を完全にそぎ落としてのこのお値段なんだろうな。一応鏡を見せてくれ、「どうですか?」と聞かれるが、逆に「どうですか」と聞き返したい気分に。あれこれ注文するのもお値段的にはばかられ、帰宅。1500円カットとまあ、変わらない印象。

 

通うか、通わないか。通うなら、自分でシャギーを入れる前提でおおまかに切ってもらうなど、工夫をするかも知れない。便利で安いし、どうせすぐ伸びるのに高いなあ…とか、髪切りで休日が一日潰れるのかあ…というストレスは皆無。

 

その後自分で本当にスキばさみで軽く調整してみた。自分でゼロから切るには技術が要るが、軽く顔の周りをすくくらいで、結構何とか自分の中の及第点になった。今後は1500円~1000円カットで、仕上げ自分でやろうかな。

 

0円セルフカット

正規職を辞し、子供に全力の時期に自分で切っていた。あまり悲壮な決断ではなく、知人のイケメンが自分でずっとカットしていると言っていたので、私もその技術が欲しいと思って。

 

もともと、美容院はいうなれば注射くらいの気分で、決して行きたくないが、行かないと社会生活がなあ…という重い気分で行っていた。原因は、時に美容師さんと共通項がない中でのトーク、時間がやたらつぶれる、なぜかお金を払っているうえに髪をディスられる、色々サービスや品物の営業をされる、どうせすぐ伸びるのにその割に高くないか?…色々。

 

正直、正面はセルフカットでも何とかなる。何ともならないのが、後ろ。あえての狙いではなく、完全にだいじょばない髪型って、なかなか街中でも見かけないのね。私の襟足は散切り状態。あるいはまったく襟足がない、つんつるてん状態。悲惨だった。悲惨で痛々しい髪型で生きてみると言う、貴重な体験になった。そこから1500円カットにしたところ、家族にすごく喜ばれた。

 

よって、セルフカットはまだ早いということが分かった。

 

今後日本がゆるやかに貧乏になって行くのなら、美容院の使い方も、平均の値段が下がって行くかもなあ…なんて想像する。昔ユニクロは安い服の代名詞だったけれども、今やそこそこいい服では…?GUとかが出てきたし。

 

そんな感じで、美容院代も平均が下がりそうだなあと思う反面、1500円以下の美容院は、いうなれば「こうしてください」のオーダー以上のことは恐らくしないので、出来上がりは、びっくりするくらいのび太君似だった(ぺっしゃんこの、シャギーの入っていない、毛先がびしっと揃って、お釜被ったようなショートヘア)。

 

実はこれまで美容師さんたちが、「切ってはみたものの、何か変だから量を調節してやろう」とか「このまま切るとぺしゃんこになるから、内側の毛量を調節してやろう」と、サービスをしてくれていたことを痛感させられる。そして、それって、サービスする側のモチベーションとしても、きっと大事な部分だろうなあと思う。

 

自分も、まったく違う分野ではあるけれど、サービスを提供する側で、「契約通りやり、それ以上のことをするな。それ以上の場合は値段を上げなきゃもうからない。」と営業さんに言われたとき、モチベーションが地に落ちたのを覚えている。

 

ある程度余剰なお金があり、その遊びの中で、よりよい状態にできるよう技術を磨き、自分のできうる限りで最上の状態に持っていくことが喜ばれる場所じゃないと、技術って育たないだろうなあ…とも、思ったりする。技術を求められない、磨けない、何かまっすぐ喜ばれない(経営サイドに?)技術屋さんって、心が迷子になりそうな気がする…そんなことないのかな。(私はジャンル違いだが、かつてそうだった)

 

1500円カット、1000円カットの美容師さんたちは、申し訳ないくらいに笑顔で、荷物なんかもきちんと保管してくれ、きちんと対応をしてくれる。きちんと伝えた通りに切ってくれる。だけど、ちょっとこうしてやろう、という自由ややる気や技術面での向上心…が許される方が、どっか、生きるのは楽じゃないかな…とも想像したりする。

 

ただ、美容院勤めだった友人によると、本当にブラックな場所が多いらしく、そこも保障される前提で、だけれども。(1000円カットのお店は、美容師さんや理容師さんが土日休める、がうたい文句だった)

 

案外、お値段や時間で「このくらいでできるよね」と試算される以外の、個々人がこそっとやっていたサービスが、実は大事だったりする…気がする。自分で1500円、1000円の価格帯、手軽さが気に入っていて、何を言うなんですが。

 

 

キャット&チョコレートというカードゲーム買ってみた(未到着のくせに記事を書く)

仕事先で、子供が全員集まる日が近々あります。はなっから勉強なんかしてくれないので、何とか暴れだして表に飛び出さないよう、エンターテインしなければなりません。てえい、時給の身の上なのに。そういう事は、正社員の人がしてくれえ。

 

去年、子供たちから同様の日に、「人狼したーい」と言われました。ご存じの方も多いかな。会話で犯人捜しをするゲームです。専用のカードが販売されているけれど、結構高いんですよね。スマホがあったら、カードなしでもできます。私はガラケーなんですけども。

 

家族でそのスマホを使った人狼をやってみたことがあります。旦那の携帯で。感想としては、何かねえ、何かねえ、言うほど気合が入らなかった。人狼になって、もう一人人狼がいて、チーム組まないと行けなくなるのであれば、頭も働かせるんだろうと思うのですが、人数が少ないと盛り上がらないし、何かもう、ただただ早く終わってよ~という気分に。

 

職場の子供達には人気だったようで、今年、人狼のカードがあったら盛り上がるのかもしれないなあと思いながら、カード代を出すのは自分。…うーん、うーん、うーん、いやだなあ。

 

他のゲームを探してみたところ、キャット&チョコレートと言うシリーズのカードゲームを見つけました。アイテムを駆使して、いわば屁理屈をこねて、窮地を回避するらしいです。半分ふざけてやるのが吉、らしい。

 

Amazonアソシエイトですよ。)

 

それはまあ、子供が乗るかは分からないけれど、「私もやるのかあ…」というようなプレッシャーは、あまりないかも。誤解ないように言うと、人狼を見るのは大好きなんです。一時、動画でずっと見ていました。

 

最近アナログゲームって奥深いなあと思っています。Amazonで検索すると、色々海外のアナログゲームが出てきます。ボードゲーム、カードゲーム、色々。海外では、人が集まったらアナログゲームをするような習慣があるのかなあ。

 

Amazonにこれだけのゲームがあふれていて、さらに詳細欄に「受賞」とか言う字があったりするので、ゲームの賞があり、人気があるとパブリッシュされたりする世界があるのかな。ふうん。

 

我が家では、最近しまじろうのおまけのカルタや、教材に買ったカルタが我が子に人気。大人からはぶられず、大人に交じって対等に遊べるので、楽しそうです。まあ我が子は負けるのが苦手すぎて、読み手に回るのですが。

 

何にせよ、この屁理屈で窮地を切り抜けるらしいキャット&チョコレート。明後日の方向からボールを投げ込むことに長けている旦那が、どういう屁理屈を投入してくるか、これ絶対彼向きだろうと、楽しみです。

昔ながらのスキルトイ お手玉、けん玉、あやとり、折り紙、コマ回し、竹馬…。

我が子がもうすぐ小学生。どうもこの年長~小学校低学年の子に遊びをさせるとなると、昔遊びがよく用いられるようで。保育園や幼稚園の教室にもけん玉があったり、学校間交流等でも昔遊びをし、学童保育でけん玉をやった、という人も、ネットを検索すると結構いるみたい。

 

かくいう私も、けん玉やお手玉をやったのが、小学校一年生くらいだった記憶があります。当時祖父母が近くに引っ越してきて、二世帯住宅を建てている途中でした。両親共働きで、帰りがそこそこ遅かったので、祖父母の家で放課後を過ごしていました。学童は途中でいじめられて、やめてしまった^^;。

 

祖母がお手玉を作ってくれ、一緒に練習した記憶があります。私は我が子と同様に不器用な子供だったため、祖母もかなりやきもきしたと思うのですが…、教授法がよかったか、お手玉2つは程なくして取り扱うことができるようになりました。それが小学校1年。

 

なにげにこれが子供を見るとき、自分の大体の目安になっていまして…。周囲の発達の早い子は、難なくけん玉、あやとり、お手玉しているようですが、まあ、小学校上がってからでも大丈夫と、そんな風に思っています。小学校上がってもできなかったら、それはそれで仕方ない。ただ、あまり簡単に自分のイメージを矮小化させないように心がけたい。(子育て中の自分に言っています)

 

それにしても、昔遊びはスキルトイが多いです。周囲がみんなこの昔遊びに興じている時代であれば、乳幼児のころから年長の子たちの様子を見て、何となく自分ができそうと思ったタイミングで(あるいは興味を引かれて無鉄砲に)手を出し、何となくやるのかも知れません。が、このあらゆる娯楽があふれる時代、いきなりある年齢で強制的に昔遊びを導入すると、発達が早い子はいいけれど、遅めの子にしてみたら、ただの自己肯定感ダダ下がりグッズになりかねない。

 

実際私もけん玉が全然できない子供で、以来けん玉に挑戦しようとすらせず、今日まで生きて来ました。あや取りやお手玉、コマ回し等は、決して上手くはないけれど、初歩的なものはマスター出来たお陰で、「できなかった」という意識もなく、いわばニュートラルな記憶になっています。折り紙も同様、意識に傷としても、トロフィーとしても残っていません。

 

発達遅かった子供が大人になるにつれ、何を人生の根幹に据えがちかといえば、「私にもできる」を増やす事じゃないかなあ…。少なくとも自分はそうで、大人になってから急に苦手だった数学を一人もくもくとやってみたり、ある日思い立ってジョギングをはじめ、3キロマラソンに出たり、楽器を始めたり、何かっちゅうと学齢期に「できない」と自己肯定感下げたものを、いや、ちょっとの工夫と心の持ちようで、自分にもできるんだと思いたいが故に趣味にするパターンが非常に多いです。

 

そして今、趣味はけん玉。決して上手くはないですが、それでも平均点以上は恐らくできるようになってきました。「大皿、小皿、中皿」「もしかめ」「ろうそく」「とめけん」ごくごくたまーに「飛行機」や「日本一周」が決まるように。

 

要するに、発達はいずれそれなりに追いつく。場合によっては追い越すこともあるって事だろうなあと。

 

けん玉に孤独にはまっているので、仲間が欲しいというのが最大の理由なのですが、今日職場にけん玉を持って行ってみました。職場は何かしらアンバランスさや困難さを抱える子供が来る場所なので、案の定「けん玉一度もできなかった」という子がいる。そして案の定、けん玉に手を伸ばさない。

 

だけど乗せて、させてみると、年齢も上がっているせいか、できるのです。いつの間にか発達が追い付いたり、自分で自分のバランスを取れるようになってきていたりする。だけれど、それを実感する場所や機会がないので、自己イメージを修正できずにいる。今の自分は、昔思っていた自分とちょっと違うのかも。今だったらできるかも知れないという事に気づかないで、小さい頃の人一倍できなかった自分のイメージのままでいるパターン、案外多いんじゃないだろうか。

 

発達遅めの幼児にとって、昔遊びのスキルトイは自己肯定感をただただ下げるグッズになるかも知れませんが、もう少し年齢が行き、例えば10歳を超えたり、中学生になったり、高校生になったり、私のように大人になってからでも、やってみると、案外できるようになっている自分に出会い、自己肯定感を修復するグッズになりえるかも知れない、と思ったりします。

 

昔遊び?には、紙の着せ替えや塗り絵、単純にお絵かきなんかもあり、昔の子も、それぞれにあらゆる意味で楽しめると感じるものをやっていたのでしょう。だけど、昔ながらのスキルトイ(普通に使っていますが、使用方法合っているのかな、この語句)は、何かしら成長過程でこじれてしまった子を、傷つけもするけれど、励ましになる可能性もあるなあと思います。そして、傷つかない方がいいのではなく、たくさん傷ついて、どこかで取り戻せば、それだけ太く育つんじゃないかな、とも、ひっくり返って泣いている我が子を見ながら、思ったりします。

 

まあ何が言いたいのかって、今さらながら、昔遊びって楽しいもんだな…と思って、はまっています^^; ベーゴマやりたいな。

 

個人的にjpegを集めるゲームがあまり面白くないので、シンプルな作りで、シンプルな素材で、ここまで奥深く「沼」になる昔遊びって、凄まじい完成度の遊びだな、と関心しています。携帯ゲームを一概にディスれるほど知らないけれど、はまって、自分の身体や発達と対峙して、自己肯定感につながって、時に生涯の友になって、本当の友との懸け橋にもなりえて、さらに技が無限に開発され、終わりがないけん玉、面白いよ~~~。

けん玉にはまる。けん玉道っていうらしい。道について考える。

kendamausa.com

 

数年前にブームがあったようですね、けん玉。みんなの脳みそ、インターネットによると、海外のスキー選手がお土産にけん玉を持ち帰ったのがブームの始まりだとか。海外で火がつき、日本に逆輸入される形でブームになったようです。今でも多分、やや落ち着きつつ、ブームは続いている…?

 

体がなまるが、しっかり着替えて、しっかり運動できる場所に行って運動するような時間はない。そんな折、何でだったかなあ、けん玉しようかなと思いまして。やってみたら、それなりに屈伸するので、楽しくスクワットができる感じ。さらに集中するので、気分転換にもなります。やるだけ上達するのも、楽しいポイントです。

 

昔諸事情あって通っていたキリスト教の教会で、牧師さんが、人間は手の届く範囲の土地を耕し、そこに注ぐ労力に呼応した変化があると、愛着を感じる、みたいなことを言っていた遠い記憶があるのですが、努力しただけうまくなるって、麻薬的な要素があります。人間、努力と変化(上達)にはまるよう、かなり原始的なレベルでプログラムされているんじゃないかしらとか思いながら、黙々とけん玉をしています。

 

けん玉は、けん玉道といったりするようで。道かあ。憧れていたんだよなあ。生涯かけて、道を究める。甘美だ。

 

近くに剣道の有段者がいます。若いんですが。剣道をスポーツだとうっかりいうと、

「…スポーツじゃないんですけどね。武道です。」

とにこやかですが、訂正されます。どう違うんだろう。そもそもスポーツって?道って?

 

級や段があるのは、道と密接な気もします。義母はお花の師範代、実祖母も師範代だったと聞きます。昇段試験の度にえらいお金かかると、お茶だったかお花だったかやっている知人が言っていたっけ。我が子は公文をやっていますが、公文も何だか似ている。教材に段階があり、上へ上へと進んでいく。毎日地道にコツコツやることで、級を進む感じに似ています。

 

考えてみれば、日本の検定も級です。英検3級、漢検4級、数検5級。あまり海外の匹敵する試験に詳しくはないですが、トッフルやトーイックは点数です。点数によって学校に入学できたり、できなかったりがあるようなので、ある種点数が級的ではあるけれども。

 

スポーツと道の違いって何だろう。何ですかねと剣道の達人に聞いてみてもいいのですが。

 

自分で考えるに、それは結果と過程かなあとも。あるいは勝敗と自己練磨とも。スポーツに道を持ち込む事が日本のスポーツの弱点であると指摘する人を、この件で検索していて結構見かけました。まあ~なるほど。確かに合理的に試合に勝てばいいのであって、そこに自己鍛錬、成長、達観みたいなものは、それはまた別のお話、なのかもしれない。

 

もっと言ってしまえば、道は別に勝たなくてもよいのではないかと。そこに気付きがあり、学びがあり、努力があれば、それはその人の道になるのではないかと。そういう意味で勝敗こそ重要な場面では、微妙に矛盾するのかなあと。

 

我が子はとにかくできない事に関して癇癪持ち。すぐに自己肯定感ダダ下がる。そして自分は何が向いているの?と聞いてくる。まだ発達途中だから、決めつけるには早いと思うよと言いながら、褒めて欲しいだけでもあるので、あれこれ褒めて。

 

最近私がもくもくとけん玉をしているので、手を出してきます。案外、できなくても怒らない。たぶん、それ以上の回数、私が失敗し続けているのを見ているからなんだろうなと、ちょっと自負(?)しています。

 

私が失敗し、「あうあうあう」と泣きまねすると、娘が走ってきて、よしよししてくれる。娘も失敗し、同じように泣きまね、私がよしよしする。そんな茶番をしつづけ、何気に失敗を重ねても、地道にけん玉に挑戦しています。まだ子供、成功1回だけですが…。

 

実際自分のペースでけん玉したい時も、我が子に貸す。そして失敗して、一緒に茶番。きっと勝敗や上達だけ見たら、非合理的なのですが。でも道と考えると、そっか、子供に失敗にめげるなと伝えたいなら、自分が何倍も失敗している様を見せ、それでもがんばっている姿を見せる事だよな、という学びがあったり、このようにしてやるんだ、という見本を見て欲しいなら、教示を明示的にするのではなく、平素から子供の目の端にやっている様子を見せることかもなあ、という学びがあったり。

 

スポーツの勝敗は、出来る限り最短で、合理的であることが正解だと思う。でも道と名のつくものは、できるだけ道幅広く、何をそこから学んだか、なんじゃないかなと…憧れも含めて思ってみる。

 

冒頭のサイトはアメリカのけん玉の会社らしく、ブームの火付け役らしいです。けん玉とは、と言う説明に、手と目の協調とか色々ありますが、その中で、ペイシェンス、つまり忍耐という文字がある。

 

忍耐って、道のキーワードな気がします。耐えることが最終目的ではなく、そこから学ぶために、いわばヨガの自分との対話的な、ある種の負荷としての忍耐。我が子も勝敗だけの世界では、忍耐は皆無。だけど過程と自分にフォーカスする空気の中では、肩の荷が下りるようで、あまり癇癪にならない。

 

スポーツの世界では、道は古く、悪しき風習と考える人も多いようです。確かに出どころが違うのであれば、微妙なところで矛盾がある予感も。だけど道のはらむ何かは、私は何だか大切な気がしています。だって、人間いつかは負けるじゃない。その時、大好きだったそれを、好きでいたいじゃない。

体と意識と物のチューニング

私はスポーツ嫌いでした。体育の前は憂鬱で。すごくものすごく運動ができない訳でもなかったのですが、強いて言うと、運動する意味が分からないといった人間でした。

 

確かにバスケが上手にできたら格好いい。確かに水泳で速く泳げるようになったら楽しい。だけど、それは飯のタネにはならないに違いない。飯のタネにならないことに夢中になっても、仕方がない。…そのくせその後美大に行くのだから、その考え破たんしているんですが…。負け惜しみだったのかも知れません。

 

小さい頃バレエを習っていました。踊ることは小さい頃から大好きでした。が、受験をすることになり、バレエ、公文、塾と3足の草鞋をはいて、ついに週に1日も休みがなくなりました。それでもこなせていたのですが、ある日肺炎になって入院。流行性の肺炎だったので、たまたまウィルスに当たったのでしょうが、点滴されながら、当時10歳の自分がいろいろ考えるわけです。

 

そろそろ習い事を整理しなきゃ。たぶん止めるのは、バレエだろう。受験の役には立たないし、私はバレエは好きだけれど、バレエダンサーとして生きていけるほどの逸材ってわけじゃないし。

 

納得の上、3つの習い事の内、恐らく一番好きだったものを止めました。それでも当時習ったバレエはその後体育でダンスがあればその素地になり、振り付けをすぐに覚えられる下地になり、ずっと体に住んでいてくれてはいます。

 

星占い的に言うと…私の星座は身体との結びつきが強く、体を動かす事が好きな人が多い星座に思います。分母3人ですが、どうも体育の先生が多い星座だなあと、生きていて出会う率が高く、意外に思ったりして。

 

私自身絵はずっと好きでやっていたけれど、あれも一種体と物と意識のチューニングで、体を使い、思い描く通りに実際に再現させる行為でもある気がします。そう考えると、できる、できないが絵より余計目立つスポーツは、私は最初から尻込みをし、面識ないまま育ってしまったけれど、単純に楽しいと思って、その一点でアクセスしていても、良かったのではないかなあと最近思うのです。

 

子供の支度を待ちながら、夕飯後の微妙な空き時間にと、けん玉を買いました。友人の住む山形県からやって来ました、けん玉。山形って木材の産業がさかんなのかな…?将棋の駒とか、けん玉とか。

 

けん玉は運動にならないと思われるかも知れませんが、結構体幹や足腰を使うらしいですよ!小さい頃全然できなかったけん玉。大人になってみると、意外にできるようになってくる。まだ発達しきっていない子供のころに、自分は何に向いている、何に向いていないと尚早に判断しがちだけれど、結構大人になってくると、自分のセルフイメージと違う形になっていたりします。そういう意味でも、変に発達初期で劣等感を持って道を断たず、単純に楽しんでも良いっていう素地を持つことが、今小さい子を育てていますが、子育てって大事なのかなと…頭でっかちに思っています。

 

体育が好きな子っていますよね。座学が終ると、「よっしゃー体育だーー!」と、体を動かせることが楽しくて仕方ないといった子。同世代だと遠い存在だけれど、年とって見ると、不思議にシンパシーも沸いたりします。

 

かけっこが遅くても、かけることって結構テンション上がるし、元来人間は体を動かすことは楽しいんだろうなと、子供と接していると感じたりします。発達途中だからバランスをつかむために運動が必要だし、発達途中だから、運動下手。人目を気にしたり、人と比べる年齢とそれが重なるのがつらいけれど、実はそれは対外的な問題で、自分の中は案外運動嫌いじゃないのかもしれません(レベルに合った、程よい量の運動なら)。

 

チームゲームになると貢献できない事にモチベーションも下がるけれど、もっと前段階の、粗大運動とか、トランポリンとかなら、楽しめる子も、人も、多いんじゃないか‥。そう考えると、チームでする運動って、系統的にはかなり上の方なんでしょうね。自分の思い通りにある程度動けるようになり(粗大運動?)、制御できるようになり(微細運動…?)、身体だけでなくボール等の物を使うことに慣れ、さらに全体を見る力を養い、チームに貢献する。最近チームゲームに惹かれる自分は、もしかしたら中年になって、ようやく発達が追い付いたのかもしれません…(苦笑)。

 

ADHDは、体を動かしながら考えるなんて言う人もいるようですが、そうであってもなくても、体をちゃんと動かした後のほうが、子供って、あるいは人間て、集中するらしいです。

 

脳の移動手段に成り下がっている身体だけれど、身体から考えることは、見直されるんじゃないかなと、小さい脳みその範囲で勝手に夢想したりしています。とりあえずけん玉、屈伸しながらタイミングをとって、けん玉。体幹にいいようで、手軽な運動でお勧めです~~。

 

今朝見た夢は、自分が楽器を極め、先生になって子供に教えつつ、空き時間に自分で演奏してストレス発散する夢でした。楽器もそういえば、体と意識と物のチューニングが必要なものですよね。

 

昨日実はスケートに行きまして。全く下手なんですが、これ、思う通りにすーいすーい進めるようになったら、気持ちがいいんだろうなあと少しその片鱗を感じました。気持ちいい、楽しい、その小さいシグナルを割と大事にすべきなのかも…と最近思います。