やわらかい ぱん

焼き肉はホルモンが好きです。みなさんはどうですか。

中学時代に読んだ本(原田宗典氏)

仕事先の子供が、誰とも趣味をシェアする機会に恵まれないと、お前でいいか的に好きなものを教えてくれる時がある。好きなアニメ、音楽、漫画、ライトノベル…。

 

偶然かも知れないが、今のところ男子のほうが狭く深い趣味が多い。そして、少し首を突っ込んでみると、もっともっとその世界に引きずり込まれる傾向もある…気がする。

 

そういえば昔IT会社にいた時、取引先の韓国の人と英語で機器のトラブルシューティングをやる内、仲良くなり、『ジョゼと虎と魚たち』という映画の大ファンだと告白された。主演の池脇千鶴が韓国に来る機会がありそうだったら、是非教えてくれ、とも言われた。というか、それらのメールが同じ日に一気に来た。もはや『ジョゼと虎と魚たち』を知らんし、地味にあんまり興味もない、とは言えない熱量だった。

 

結局私はその映画を見るために、会社帰り忘れもしない冷たい雨の晩にツタヤに入会し、そしてまだビデオレンタルが開始されていないそれのために、DVDを自腹で買うことになった。

 

お陰で取引先のその人とはメール友達になり、機器の相談をいつでもしやすくなったのだが、何とも、自分の趣味にここまで巻き込みたいと思うんだなあ?と、学びというか。私であれば、できるだけ人目を避けて趣味に没頭するが、結構多くの人は自分とは違う。

 

そんなわけで(?)現在、仕事先の子供から好きなものの詳細を教えられると、それが余程の高額でない限り、ちょっと覗いてみることにしている。現在は、ライトノベルというものを読んでいる。なかなかに、男性向きである。私はこの幼児の女児をああしたり、こうしたり、どうしたりを、どういうスタンスで読めばいいんだろうと思いながら、とりあえず読んでみている。

 

厨二病とは便利かつ素晴らしい言葉で、仕事先の同僚から「どうですか?ライトノベル」と聞かれると、「まあ、中学生だけに厨二病ですけどね…」で上手に…説明ができてしまったりする。だけど、自分が中学生の時も、こんな文体でこんな特殊能力で美形の青年が主人公の本、やたら流行ったよなあとも。

 

試しに同僚に「中学時代何読んでました?」と聞くと、その人はその後の人生で歴史の研究をするのだが、中学時代は歴史ファンタジーを読んでいたらしい。へえ。そしてその後大学で歴史を学んだ際「あの物語はこの歴史的出来事を下敷きに書かれていたんだなあ」と、テキストで再会した、と言っていた。

 

私は中学時代、何を読んでいたのかと聞き返され、まあ、同人誌で男子がくんずほぐれつの薄い本を読んでいたけれど、その他は、そういえば原田宗典という作家の本をよく読んでいたのを思い出した。

 

後にテキストサイトが台頭するまで、その人の他愛なくて人間臭くて日常的でおかしなエッセイは大人気で。先日大麻所持で捕まったらしい。一度、その名前が雑誌にあって、どうされているんだろうと開いて知ったのだが、どうも精神的に患っていた時期もあったらしい。

 

彼のエッセイは、格好つけることが下手で、どうも決めたい時に決まらずに格好悪くて、しかもそれが恐らく多くの人が身に覚えのあるものだった…と思う。彼の書く小説の方は、少し頑張り、背伸びしている息遣いがあって、どちらかというと受け取る側より作りたい人間だった自分にとって、共感できた。

 

今考えてみれば、自分はどことなく進んで恰好つけない人生を選んでいる。決めたい時に決まらない、そんなことをデヘヘと笑いながら生きている。中学時代の読書は、結構案外人生の根幹を示唆しているのかもなあと、同僚と話しながら帰宅した。

 

ちなみに同僚は次の行き先に遅刻し、靴は水没したらしい。思い返すと原田宗典氏のエッセイのようでもある一日だったと思う。

夜空の星

人間は何百万年も 嫌なことがあった日に 夜空の星を見てきたんだろう。

地上に閉じ込められて 孤独な気持ちで 空を見上げてきたんだろう。

地上ではない自分を受け入れる夜空には まだ到達していない。

ロケットで飛べても 着いていない。

だから人は 多次元を研究するのかも知れない。

実は答えは最初から知っている。

だけど認めたくないんだろう。

人間は何百万年も 孤独になって空を見上げたんだろう。

 

確かに書きやすい、出来事だけの作文

あったことを羅列する作文。そこに感情やら、盛り上がりやらを盛り込めたら、よい作文になる…。けれども、例えば自閉圏の子は、出来事を羅列する作文は書くけれど、そこに感情を乗せろといっても、なかなか難しい子もいたりするらしい…色んな子がいるんでしょうが。

 

考えてみれば、私も出来事を羅列する文は書きやすい。例えば緊張しながら仕事に向かう朝の様子。電車の時間、家を出る時間なんか、意識して気にとめているので、書きやすい。

 

6時〇〇分に家を出て、6時〇〇分の電車に乗る。ホームは〇〇の電車。電車に乗る前にペットボトルの飲み物を買い、ペットボトルカバーに入れる。電車の中は目をつぶって、眠るのが楽しみ。駅についたらリュックは前にして、乗り換え。満員ぎみの電車に乗って、職場の駅へ。

 

感情を入れると、それは、どういう感情だっただろうと追いかけているうちに、うまく書けなくなってくる。たぶんそこにはあまり人が言わないもう一つ計算があって、読み手に対する欲があるんじゃないかなと思う。ケガ自慢に似た、こんなすご~いことをしたんだよ、と言いたいというような欲。

 

もしかするとロマンチストである事が、人と絡むことに体力があり、エロスもあるような人は、こうした感情豊かな文を書くことが得意なんじゃないかと想像している。

 

確かに…というには分母が小さいのですが、「こんなすごい事をしたんだよ」と、幼いながらに話を盛ったり、時にあどけない嘘をついたりしてお喋りする子は、作文が上手い。文にも自然と?出来事だけではない感情の起伏を作ったりする。

 

ただ、出来事の羅列だけの作文を書きがちな子も、全然決して感情がないわけじゃない。叱られたら落ち込んだ様子になるし、時に引きずって、千々に乱れたりもする。楽しかったときは「楽しかったね!!」と大喜びな顔になるし、楽しかった活動をもう一度することを察すると、ぱっと、にやりとしたりもする。

 

出来事を羅列した作文を書きがちな子は、じゃあ、本を読んで共感して、本と一緒に感情をゆさぶって冒険を楽しんだりするんだろうか。同僚の人と、そんな話になった。というのも、私自身が起伏の激しい本が苦手なのです。自閉傾向のある子の中には図鑑を好む子は多いと聞くけれど、私ももしかしたら、その傾向は少々あるかも知れない。

 

作文は、テーマが決まっていたりする。例えば運動会の作文を書くとしたら、目標は先に決まっている。どうがんばるべきかも、どう正すべきかも、決まっている。どう感じるべきかも、地味に決まっている気もする。うーん。

 

物は試しに、例えばそれぞれの子が一番感情を揺さぶられることをテーマに書いたら、少しは文に感情も乗るんだろうか…?

 

作文が苦手でも、壁新聞的な、調べた物や好きなものをまとめる事を好む子もいる。地味に私も恐らく好きだ。そこには「好き」が溢れている。

 

以前、「形容詞」を導入してみようとして、大失敗をしたことがある。「好き」なものは、多くの子が言うことができたりする。いまだに新しい好きなものができると、報告してくれる子もいるくらい、人はどうやら自分の「好き」を人に言うことは好きらしい。

 

何で好きなのか、を聞いてみたことがある。なかなかに難しい。美しいから?わくわくするから?面白いから?。ただ意外なことに(とは失礼だが)、もっとも輪の中で一番自閉傾向のある子が、これが得意だった。「~は美しい」。その子がどうやら好きな場所に「美しい」を組み合わせ、それはそれは詩のように美しいセンテンスになった。私にとっても、何度も思い出して心の中で復唱するような、宝物になった。

 

意外に発達のバランスが良さそうな子のほうが、この活動は苦手だったりした。(私の導入が悪かったせいも多大にあるだろう)

 

はらはらした、ドキドキした、緊張した、頑張った。悔しかった。もしかしたらある種の作文のテーマで好まれるのは、動的な感情かも知れない。「美しい」はどちらかというと、静的かも知れない。視覚的に物事を楽しむ子は、もしかしたら静的な感情を多く、世界を受領していないか?すべては想像で、あまり言い当ててはいないだろうけれど。

 

私は仕事に向かう緊張した朝、その緊張を描こうとしても、片方で朝の光、人のまだ少ない電車、結構気持ちのいいフカフカの座席に占領され、きっとあまり感情的に強い描写を描けない。光景に感情が実は乗っているだろうな、とは思う。だから、緊張していると自覚している割に、朝の光景は美しく、私はもしかしたら自覚していないが、わくわくもしているのかもしれない。しかもそのわくわくは、自分発のものではなく、外界の光景から影響されている可能性もある。…そんなわけで、私は物語を書くのが難しい。感情が一本道で続きにくい。

 

もし何かを作文に書かなければいけないなら、印象に残った景色を文字で描写してみたら、それは意外にその子の世界を垣間見る作文になりはしないだろうか。

 

個人的にだが、美しいを人に伝えられるようになると、いいよなあと思う。人がつい見出ださない美しさや喜びを描写できると、それは大変なコミュニケーションになるだろうし、蓄積されていったら、新しい表現になって、多くの人に作用するかも知れないし。

 

上手く「それ」を示す言葉がない、と言うのもあるかも知れない。例えば、毎回同じ活動に笑顔になる子がいる。他の子は飽きているのだけど、その子らは、古なじみのようなその活動に、もし気分が落ち込んでいたとしても、笑顔になることもある。

 

それをどう表現したらいいんだろう。私も、全部が真新しい取り組みの中で、よく知る取り組みが1つあったら、その時間はきっと「快」だと思う。だけどそれをどう表現したらいいのだろう。ほっとする?いや、古なじみや家族に会ったような、地に足がついたようなほっとした気分かなあ。

 

作文て難しい。だけど、面白い。

ローズクオーツの教えてくれたこと

昨日の占いに続き、きな臭いポストが続いていますが…。

 

ここ数年、ローズクオーツ(紅水晶 要は石です)が好きです。その前までは、ピンク色のこの可愛い石が、どうもかわい子ぶりっ子に思えて、付き合い方が分からない知人、みたいな感じだったのですが。

 

人生で、ピンクと仲直りする時期ってありませんか。幼少期、ピンク大好きだった子も、大きくなり、また時代もあったりして、ピンクを敬遠する時期があったりして。他の子と比べ、自分には似合わないし、と思ってみたり。好きが外から過剰に影響しちゃう時期というか。

 

だけど、これまた時代の移り変わりがきっかけでもあるけれど、私はピンクと仲直りできる時期がありまして。…就職がなくて、人生詰んでいた時期なんですが。以来、「ピンクが好きで、いいんじゃないか」という、どうも求められるまま、他人になりすぎそうになった時、迷ったときのマイルストーンのように、ピンクを時々思い出しています。

 

今日は仕事先でいい空気になり、大人同士の連携もとてもうまく行き、クライアントの子どもにとって建設的なことが、自然と大勢の力によって提案できた日でした。接した子は全員ほぼほぼ楽しそうで、こちらもこれ以上なく幸福な気分で。

 

指にローズクオーツの小さな指輪をはめていたので、余りに上手くいったお礼に

「お疲れ様」

と心の中でつぶやくも、何かその小さな石に撥ねつけられる感じ。

「ありがとう」

も、やっぱり頑なに顔をそむけられる感じ。

「大好き」

ようやく、しっくりきました。

 

何かをしてもらう。何かをしてあげる。それに対し、私は遠慮を感じる方でしたが、遠慮し、申し訳なく思い、「ありがとう」と思う以前に、「大好き」と思う感情を鍛えてもいいのかも知れない、とふと思いました。

 

人はだって、大好きになって欲しくて、何かをしてあげるんだろうから。自分はこういうプリミティブな感情を耕やさなきゃ、経験しなきゃ、知らなきゃ、人と接する仕事はどこか「型」のままで、しんどいままかも知れないな、などと教えられた気がしました。

 

備忘録です。

今度の衆議院選を勝手に文字通り占ってみた(ルーン占い)

西洋占星術でいうと、10月から蠍座の部屋に何かの惑星が入ったそうで、蠍座っぽいオカルティックなものが一時流行るだろうことを、マックスむらいさんのyoutube動画で見た。ははあ。

 

ならば私も久々に占いをしてみようかなあと思い。少ない占いの手持ちで、一番やっていて素朴ゆえに面白い学びがある「ルーン占い」を取り出して、やってみた。1年くらいぶりです。

 

どうせなら個人的内容ではなく、シェアできる内容がいいよなと思い、今度の衆議院選を占ってみた。

 

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自民党:エオロー

フォークのようなマークの「エオロー」が出た。これ、鹿の角らしい。たくさんの鹿が集まり群れているイメージらしい。個が突出し、それぞれが勝手に活動するのではなく、それぞれが役割をきちんと引き受け、統制がとれた選挙になりそう。一人はみんなのために、みんなは一人のために。個が突出しない分、獲物として一匹だけが狙われることは少なく、全体で全体を守っているとも読める。

 

希望の党:ティール

槍のようなマークの「ティール」。男性性や戦い、勝利を意味する。勢いだけの力強さではなく、名を捨てて実を取るという腰の据わった戦略を意味するらしい。何とも選挙と相性の良いマーク…に思える。↑の形のマークなのだけど、その形の通り、力強く、もしかしたら長期的に議席を獲得しそう。

 

立憲民主党:ダエグ

全ての辺がどこかに通じ、繋がり合っているマークの「ダエグ」が出た。物事が循環し、安定している様子を表す。が、その分「ティール」のような、突出した変化があるわけではない。砂や崖に建築物を建てるではなく、岩に建て、向こう百年持つ建物を作るのなら、今はその礎の時。こつこつとした確実な努力をなす時かも知れない。小規模であっても、密度が一番高いとも読める。お互いの角が意思疎通しあっている時期、とも読める。現在は礎を作るためのコミュニケーション中、とも。

 

総評:アンスール(補助ルーン:エオー)

知性や言葉を意味する、英語のanswerの元になったという、「アンスール」が出た。体で覚えているような動きとは異なり、知識、知性、言葉をつかさどるものらしい。どうも読めないので、もう一枚ヒントを引いてみた。馬、移動、変化を表す「エオー」が出た。総合すると「いつもの慣れた状態から、知性や言葉で変わる」とも読める。しかも移動手段は車ではなく馬なので(車を意味するマークが別にある)、受動的で機械的な変化というよりは、自ら方向を定めての自主的な変化とも読めるかも知れない。

 

当たるも八卦、当たらぬも八卦でございます…。