夏休みのお守り

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環境の変化に本当に弱いなあと思うのですが。

 

ちょろっとの休暇に入りました。仕事開始時期の緊張はもう慣れっこで、キンキンに緊張する自分をどのステップを踏めばほぐせるか、もはや熟知しています。例えば、身を切ってコラボし続ける、私が最も尊敬する仕事人、キティ先輩のグッズを1つ買うとかね。

 

何とこの度、休暇という、仕事から解放された状態になった際、あまりにストレスがないことに逆に戸惑い、どうしていいか分からない状態になりました。まじか。

 

いつもお守りにシルバーアクセサリーを付けておりまして…もうこれは、発達障害者向けのスピナーリングと同様だと思って頂きたいのですが(私は恐らく裾野にいて、この折り合い方は、家族から諦められている)、安全毛布の代わりなんです。

 

最近「一つ家事をしたら、100円お駄賃がもらえる」貯金を勝手に始め、それがいい金額になったので、一つシルバーリングをポチ…。インドから送られたそれは、数週間かかって到着。値段に見合わないグレードの高い石と、バリの残った金属部分という、私的には旅情を掻き立てられる最高のリングでして、気に入ってずっと付けていました。

 

仕事先では目立ちすぎるので、ポケットへ。

 

秘密が1つあるっていうのは、精神衛生上も良いものでして。昔大学院出てすぐ仕事を始めたころ、バランスがつかめなかったのですが、トイレでいつも、「箱」を想像するようにしていました。

 

女性にとって裁縫箱は秘密の箱。そこだけは人の立ち入れない空間だったのだと母から教わって以来、自分の全部を開示されられ、何だか全裸にさせられるような居心地の悪さがあった職場(職場が悪いのではなく、それまでの環境と大きく違ったのでしょう)で、箱を想像することで、「立ち入られない空間が私にはある」と暗示をかけ、自分を保っていました。

 

本当はそんなポケットの秘密や、秘密の小箱を死守しなくても、ぼけーっと行けるくらい、職場に慣れればいいんですけどね。まあ~~なかなか…。

 

そんな折、休暇に入ったものの、いつものお守り指輪をつけていると、どうも切り替えができない気がしてきて。意識的に切り替えた方がいいかなあと、何か身に着ける物を変えようと、あれこれ10代の頃から集めまくったシルバーアクセサリーを付けたり外したりしている内に、気づけば夕方になっていました。

 

私の休暇は、いざ休暇を始めるぞという足並みが揃う頃には、終わっていそうです。

 

いっつもこうです。旅行に行く前には、旅行にもっていく「安全毛布」吟味で一日終わります。バカですね。一体何を苦労しているんでしょうね。自分でもさっぱりです。

日本科学未来館の「未来逆算思考」展示がすごかった

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自分達の親世代は年をとり、そろそろ人生の大団円。自分達の子供世代は、「今より時代は悪くなる」というペーソスの下、育っている。

 

自分が子供の頃は、21世紀は明るい科学の時代だと思っていた。希望もいっぱいだった。それが、想像とちょっと違う未来に行きついている。だから、「今より時代は悪くなる」も、ズレるといいなと思う。

 

三連休、家族で東京のお台場に旅行してきた。念願の、日本科学未来館を見て来た。そこで、「未来逆算思考」という展示を見た。

www.miraikan.jst.go.jp

 

50年後の未来は、漫画『AKIRA』のような、あるいは松本零士の漫画に出てきそうな、荒廃した未来。

 

水は奪い合い。魚は口にできない。芸術は死に絶え、言語は多様性を失い、エネルギーは枯渇し(だったか)、ありとあらゆる問題が先送りにされ、「今が良ければよい」と先祖(私たち)が深く解決策を講じないまま時間が過ぎた結果、50年後の未来は、荒廃してしまった。

 

ありそうすぎて。

 

50年後の子孫が、手紙を書いている。50年前のご先祖に、つまり私たちに。50年前なら、まだ間に合うかもしれない。どうか「未来逆算思考」で、この世界を変えて欲しいと。

 

展示はゲーム式になっており、自分で50年後に届けたいものを選び、ハンコで台紙にぐっと押す。そしてそれをタッチパネルで送る。上手く50年後まで送れるとは限らない。途中でついえた場合、どういう理由でついえたか、表示される。それもあり得すぎて。

 

寿司大好きな娘は、「お魚さんをとどげるの。」と言い、それを選択。しかし万一届けられなかった場合のプレッシャーで、ゲーム参加を断念。

 

ゲーム結果がタッチパネルに表示されている。子孫からの手紙という体を取っている。それが各プレイヤーに届いている。50年後に届けられたプレーヤーには、感謝の手紙と、いかにそれが50年後人々を幸福にしているか、書かれている。

 

50年後まで届かなかったプレイヤーにも手紙が届いている。未来まで届かなかったが、がんばって届けようとしてくれたことに、感謝が記されている。

 

まさにこのゲームの途中なんだなあと思えて、すごい展示だなあと圧倒された。

 

そして娘は、ゲーム結果のタッチパネルを何度もめくり、大好きなお魚が50年後にほとんど継承されていないことに、「おしゃかなさん…」とへうっと泣いてしまった。

 

今も時々思い出し、「つらい展示だったなあ」と表情を濁らせている。だけど、子供に見せるのに、苦くつらい展示だけど、いい展示だなあと思った。もちろん今大人の自分にも。

基本人間はずるく、おかしく、悲しくて、愛すべきもの

かこさとしさんが亡くなってから、氏の自叙伝的な本である『未来のだるまちゃんへ』や、別冊太陽のかこさとし特集を読んだりしている。

 

別冊太陽の情報はこちら↓

kakosatoshi.jp

 

別冊太陽の中で、狂言師野村萬斎氏との対談がある。これがすごい個人的に大好きで、トイレに置いて、何度も読み返している。

 

狂言の人間観は、基本人間は狡猾で、おかしくて、愛すべきものというものらしい。確かに太郎かじゃ、二郎かじゃは、砂糖を勝手に舐めちゃうし、しかもそれを機転を利かせて、罰せられないように一案講じる。これがおかしい。

 

子供を教える仕事をしていると、昨今特にだけれど、厳しすぎるなあと思う。何かにつけて叱っている様子を見ると、よくそこまで大人は自信があるなあと、不思議にすらなってくる。

 

子供が大きくなったとき、その世界を作っていく大人になったとき、上の世代のやり方をコピペしただけの、狡猾さがない、従順で努力家で清廉な大人だけでは、ちょっと不安すぎる。

 

そういえば祖父母ん家のある沖縄の、琉球王朝時代の貿易なんて、大国に挟まれた小国が生き残るために、狡猾さ以外の何ものでも…とふと習った内容を思い出す。

 

子供を教える時は、基本人間も子供も、ずるく、おかしく、愛すべきもの、くらいに思っておくのがいいなあと、断るごとにこの対談を読んで、頭に刻んでいる。

 

宿題を故意に忘れる子。頭ごなしに叱るはしない。勝手に授業でついて来いよといい、放っておく。答えろと当てたりする。え、やってないですと言われたりする。聞いてりゃ分かるよ言ったりする。分からないですよう~~と言われる。隣に教えてもらってと、隣に発破をかける。答えさせる。よし正解と言ったりする。子供、周囲にリアクションしてアピールしたりする。

 

ゲームでずるをする子。しばし様子を見る。隣に立ってプレッシャーをかける。歩いて行って、すぐ戻って来る。ゲーム説明をわざとその子の横でゆっくりにし、「やってますよね?正しく?」と顔を作ってプレッシャーをかける。

 

叱るではなく、どちらかというと弄るに近いのかなあ…。教室全体も、誰かがただただ上から厳しく叱責されているのはつらいのだろう。あまりクラスの中の告げ口は生まれないように思う。

 

が、その狡猾さを面白がるようにしてからというか、クラスの中の告げ口が多い、多い!!やれ、誰それがうるさいと思いますとか、やれ誰それがズルしていますとか。たぶんそれは、厳しく叱ってくれというのではなく、突っ込み待ちにちょっと近い感覚かも…。

 

さらにそれを言ってくるのが、よくできる大人しい連中だったりする。乗せられすぎて、川の水が清くなり過ぎないようにしないとな~と私は思ってはいる。

 

叱るにしても、グラデーションがある。悪い事にもグラデーションがある。そこを意識しないとな、と思う。

 

宿題を忘れるなんていうのは、本人が困るだけなので、勝手にしろと思う(注:これは子供の年齢等にもよります)。忘れても、巻き返せるのなら、どうぞ、とすら思う。ちょっと嫌がっている友達の教科書に落書きは、頂けない。友達が発言しているときに大騒ぎも、頂けない。だけど、友達をいじめることは、もっと頂けない。さらに人殺しはもっとうんと重罪だ。

 

だから、授業中に何も聞いておらず、自分のテキストの挿絵に落書きして「先生、これ見て下さい」というのは、「よくできたねえ」で流すし、「宿題忘れましたー」は「今してくださーい」で流す。みんなでルールを統一しているゲームでズルをすることは、理由を説明してペナルティが入る。(同様にカンニングも、みんなでルールを統一しているゲームのようなもので、ペナルティが入る)

 

今書いていて、やべえ、あの宿題みんな分かっているかなって、冷や汗出てきた。「みんな忘れていたとき」の打開策も考えなきゃ。

 

こういう感じで教えていると、時々感動することに出会う。狡猾さの先に、どうやら子供オリジナルの自主性が生まれるらしい(あるいはこれは同義語なのかもなあ?)。休みがちな子のプリントを数人で回し、全部答えを書き込んでくれている子達がいたり。英文が読めない子のプリントに、全部読み仮名をつけてくれる子が出たり。

 

それも、静かに真面目にではなく、にやにやしながら、「え、これなら読めるでしょ」「おーけーおーけー」みたいな、騒がしい中で起っていたりする。

 

さて、先生の立場でも、失敗がある。先日知的障害がある子達のグループで、リスニングをした際、ちゃんと事前チェックをしていたにもかかわらず、内容が難しすぎた事があった。CDを流し、まずいと冷や汗。子供達も、困惑しきった顔。「ちょっと難しい…」「無理だ…」と言っている。

 

素知らぬ顔で、先生の権威を崩さないよう、誤魔化す方法もあったかも知れないのだけど、思いつかず、もういっそ、「失敗した~~~」のリアクションを見せてみた。テキストで頭を抱え、ひざまづいてみた(まさにそんな気分だったのだけど)。

 

すると、授業の後一人の子が言った。

「ありがとうございました。リスニングは、ちょっと難しかったですね!(笑)」

先生失敗したんだというのが伝わったのだろう。あ、こういうやり方もありかあ?と、ちょっと小さな地平が開けた気がした。

 

今日は狂言の映像でも見てみよう。だるまちゃんの本を片手に。

 

新月の願い事

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今日7月13日は新月なのだそうで。

 

新月に10個ほど願い事をすると、次の新月までに叶いやすいみたいなのを聞いた。月の満ちて行くのと一緒に、願いが満ちて行くイメージなんだと思う。

 

ここ2ヵ月くらいやってみている。結果、結局これは自分で目標を設定し、1か月間意識する、ということに尽きる気はするのだけど、漫然と不安、漫然とでも何もしないより、1か月縛りで何か意識するのはいい。

 

というわけで、今回もやろうかなと思う。

 

方法はいろいろあるらしい。何色のペンで書けとか、「~しますように」ではなく、それが達成できた口調で書けとか。だから「~しました。」と書くのかな。

 

自分はあまり縛られずに書いている。どちらかというとブレインストーミングに近い。何が不安か。どうしたいのか。人の行動を縛ることは恐らく無理なので、自分がどうありたいかを書いている。だから要するに、一か月の行動目標みたいなものが10個できる。

 

2ヵ月やってみてわかったのが、中でも意識できるのはせいぜい2つ3つだなあということ。それでもなかなかできないんですけどね。

 

暑さにやられ、クーラーをつけて寝るようになり、始終お腹の調子が悪いです。

 

フジロック

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旦那がフジロックに行きたがっています。ボブ・ディランが見たいそうです。もう同じ世にいる時間も長くないかも知れない。だから観に行きたい。そういって彼は何度も観に行っている気もしますが、別に何度行ってもいいのです。好きなことがあることは、いいことです。

 

家族で行こうよという話をしていたのですが、フジロック、子供連れで調べてみると、やっぱり過酷そう。万全の体制ではない今回、旦那だけ行ってきなよと言っています。

 

私のフジロック体験は一度だけ。最初はぶっちゃけ「面倒くさいけれど、流行っているし、覗いてみるか」で参加したフジロックでした。

 

が、緑深い山で、生活から隔絶されて音を浴び、踊る。いやあ、もう山を下りない、ここで暮らす、ここで俺たちのユートピアを作ろうぜ(そして冬に全滅)くらい、新体験でした。新体験というのか、大脳旧皮質体験というか。

 

山深い夏フェスでは、麓でなかなか見かけない仙人みたいな風貌の人も見かけますが、首から上は真面目な眼鏡をし、真面目な髪型をし、あまり日焼けをしていない人も見かけます。首から上は、きっと私と同じ満員電車に揺られ、毎日仕事をしているんだろうなあ余韻がありありとあり、首から下は、ちょっとゆるんだ体に、バンドTやキャンプの恰好。そして

「わあ~、来た~」

って、開放的な表情で、ゲート前にいる。

 

私は夏フェスで、そんな人を見るのが好きです。夏フェスはどっか「ただいま」感があって、いいもんです。

 

さ、今日は明らかに発熱していますが、仕事を休んだら同僚が死ぬと思われるので、行って来ます。でも声は張りませんよ。何なら座ったまま仕事してやろうかしら。